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音楽・本について、色々。

情報発信されている方々の紹介

ひとまず、前回の「ヴァルダイ演説」翻訳までを記事にすることが目標でした。見て下さった方がちらほらいらしたようで、何というか、これからも日々一緒に頑張りましょう。ニュースに関しては、発信されている方がたくさんいらっしゃるので、そちらを参考にして下さい。継続して発信されている方、私にはできないことで頭が下がります。

twitter

ちなみに以前、youtubeを文字起こしさせていただいた↓ マドモアゼル愛先生は、

youtubeをBANされたようで、あの記事の動画は現在視聴できないようです。文字だけでも残しておいて良かったのかもしれません。今またyoutubeは復活されていますが、直接的な政治・情勢の話題は避けられています。

ブログではもう少し踏み込んで書かれています。

よくいう「陰謀論」という言い方は、全部でまかせ・妄想だといいたいのでしょうが、「陰謀論」と決めつける側が何らかの証拠を出したことはありません。逆側は常に証拠とともに発信されています。そういったかなり思い切った発信をされていた方が、深夜に運転中、故意に別の車に衝突され、車自体が転倒するという事故があり、その事故後の様子をiPhpneで撮影した動画がyoutubeにありました。こちらは今確認したところ、最近アカウント自体が停止されたようで、貼付できないのが残念です。再生数が私が見た時で150万回ぐらいありました。

事故を起こした側の同乗者が「何撮影してんだよ!」と怒鳴って、被害者の夫につかみかかろうとする、加害者側の運転手の女性は被害者らを気遣うような言葉や謝罪は一切なく、被害者の夫が質問すると半笑いで答えている、など異様な光景でした。幸い被害者側は助手席の方が無傷、運転手側が下敷きになった右手の負傷だけで済んだようでした。決定的だったのは、被害者の夫が「いくらもらってるんですか」と聞くと、加害者の女性が「いや、もらえないです」とうっかり答えていたことです。純粋な不注意からくる事故(事故の状況からしてそれもあり得ないのですが)なら、そんな答えになるわけがありません。つまり暗殺に失敗したから、もらえないのです。そのことで頭がいっぱいだったので(もしかしたら失敗した加害者自身が消されるのかもしれません)、ついうっかりもらしてしまったようでした。そのあとあわてて言い直し、とぼけていたことで、逆により信憑性を増していました。

警察や近所の人も集まっていますし、自作自演であんな動画作っていたら、大きな車2つとガードレールの破壊だけでも、相当な費用がかかるのではないでしょうか。演技指導するにしても、素人にこれまでのご自身たちの活動含めて背景をいちいち説明するなど莫大な時間と手間がかかりますし、説明し終えたところでそれをすんなりと飲み込めて、あそこまで真に迫った演技ができる人が、世の中にあれほどゴロゴロいるとは思えません。仮にそれだけ演技力のある俳優の卵なら、自分の将来のためにこんな危険で超低予算であろう動画には出ないでしょう。正直、にわかには信じがたいような発信も多いのですが、この事故が起こったことで、むしろ今までの発信は(全てではないにしても)本当だったんだ、と思わされました。

webサイトやブログでの発信は継続されているようです。

話が長くなりましたが、ただのでまかせでないから、猛スピードの車に横からまっすぐ追突されたのではないでしょうか。

今後、政治情勢については継続的に書いていくというより、何かあれば書くという感じになると思います。別の話題も書いていくと思うので、一応のお知らせです。

プーチン大統領「ヴァルダイ演説」全文 2014年

FULL TEXT (English)
紹介記事(英語)
*「ミュンヘン演説」のフォローアップといわれている
*フィナンシャルタイムズは、このスピーチを「最も重要な外交政策声明の1つ」と伝えた


2014年10月24日 ヴァルダイ国際討論クラブ(ソチ市 )
テーマ「世界秩序:新しいルール、もしくはルールなきゲーム」
プーチン大統領スピーチ

同僚、紳士淑女の皆様、友人の皆様、ヴァルダイ国際ディスカッションクラブの第11回会合にお招きいただき、光栄に存じます。

今年から新しい共催者が加わったことは既に述べたとおりです。ロシアの非政府組織、専門家グループ、主要大学等です。また、ロシア国内の問題だけでなく、世界の政治や経済の問題にも議論の幅を広げようというアイデアも出されました。

このような組織や内容の変更により、クラブが有力な討論・専門家集団として影響力を強めることを期待しています。同時に「ヴァルダイ・スピリット」、つまり自由でオープンな雰囲気と、多種多様で率直な意見を表明する機会が保たれることを期待しています。

この点で、私も皆さんを失望させることなく、率直な意見を述べたいと思います。私のいうことは少し厳し過ぎるかもしれませんが、もし私たちが本当に考えていることを直接に、正直に話さなければ、このような会合にほとんど意味はないでしょう。誰も本当のことを言わず、ある有名な外交官の言葉「外交官は真実を語らないために舌を持っている」が思い出される通りであるならば、外交的な集まりに留めておいた方がいい。

私たちが集まるのは、別の理由があるからです。お互いに本音で語り合うためです。今日、私たちが率直で無遠慮となる必要があるのは、辛辣な言葉を交わすためではありません。世界で実際に何が起きているのか、なぜ世界が安全でなくなり、予測不可能になっているのか、なぜ私たちの周囲の至るところでリスクが高まっているのか、それらを理解しようとするためなのです。

本日のディスカッションのテーマは「新しいルール、もしくはルールなきゲーム」。これは、私たちが今日到達した歴史的な転機と、私たち全員が直面している選択を的確に表現していると思います。もちろん、世界が急速に変化していること自体は、新しい発見ではありません。このことは、今日のディスカッションでもお話した通りです。世界の政治/経済・公共生活・産業/情報/社会技術における劇的な変革は明らかで、気付かずにはいられません。

すでに参加者によって述べられたことを繰り返す際はご了承下さい、とここでお願いしておきます。それは避けようがありません。すでに皆さんの詳細な議論がありましたが、私は自分の考えを述べます。他の参加者の意見と一致するところもあれば、異なるところもあるでしょう。

今日の状況を分析する時、歴史の教訓を忘れてはなりません。まず第一に、世界秩序の変化―今日我々が目にしていることは、この規模の出来事です―は通常、世界規模の戦争や紛争とまではいかなくとも、地域レベルの集中的な紛争の連鎖を伴ってきたということです。第二に、グローバル・ポリティクスは、何よりも経済的リーダーシップ・戦争と平和の問題、そして人権を含む人道的次元に関わるものです。

今日、世界は矛盾に満ちています。私たちは、信頼できるセーフティー・ネットがあるのかどうか、率直に問いかけることが必要です。悲しいことに、現在のグローバルおよびリージョナルな安全保障システムが、その激変から私たちを守る保証も確信もありません。このシステムは、深刻なまでに弱体化・断片化し、変形してしまいました。国際的/地域的な政治・経済/文化協力組織もまた、困難な時期を迎えています。

そう、世界秩序を確保するメカニズムの多くは、第二次世界大戦直後を含め、かなり以前に作られたものです。しかし、この仕組みが堅実であったのは、戦勝国のパワーバランスと権利だけでなく、「建国の父」たちがお互いを尊重し、他者を圧迫することなく合意形成しようとしたことにあります。

重要なのは、このシステムが発展し、様々な欠点はあっても、少なくとも世界の現在の問題を一定の限度内に抑え、国家間で発生してしまう対立の激しさを調節できる、そのようにする必要があるということです。

過去数十年に亘り、時には多大な努力と困難を伴って構築してきた、このチェック・アンド・バランスのメカニズムを、何も構築せず単に破壊してしまってはいけないと、私は確信しています。そうでなければ、私たちには武力以外の手段が残されていないことになります。

私たちに必要なのは、合理的な再建を行い、国際関係システムにおける新しい現実に適合させることでした。

しかし、冷戦の勝者を宣言したアメリカは、その必要性を感じなかった。秩序/安定維持のために不可欠な新しいパワーバランスを確立する代わりに、システムを急激に極端な不均衡へと陥れる手段を取りました。

冷戦は終結しましたが、既存のルールを尊重し、あるいは新しいルールや基準を作るといった、明確で透明性のある合意を伴った平和条約の承認をもって終結したのではありませんでした。それは冷戦のいわゆる「勝者」が出来事に圧力をかけ、断固として自分たちのニーズと利益に合うように、世界を作り変えるといった印象を与えました。もし既存の国際関係・国際法・チェック&バランスのシステムが、こうした目的の邪魔であるなら、このシステムは無価値で時代遅れであり、直ちに取り壊すことが必要とされたのです。

例えは悪いですが、これは新参の富豪が突然、世界の指導者と支配者になれるほど大金を手にしたかのような振る舞いです。もちろん、自分たちの利益のために賢く財産を管理するのではなく、多くの愚行を犯してきたのだと思います。

世界政治において、私たちは異なる解釈と意図的な沈黙の時代に突入しています。国際法は、法的ニヒリズムの猛威によって、何度も後退を余儀なくされています。客観性と正義は、政治的便宜の祭壇の上、犠牲にされてきました。恣意的な解釈と偏った評価が法規範に取って代わったのです。同時に、世界のマスメディアを完全に支配することで、望めば白を黒・黒を白と表現することが可能となりました。

一国とその同盟国、あるいはむしろその衛星による支配がある状況では、グローバルな解決策の模索は、しばしば彼ら自身にとって万能のレシピを押し付ける企てへと変化しました。この集団の野望は大きくなり、自分たちの権力の回廊でまとめた政策を国際社会全体の見解として提示するようになったのです。しかし、その見解は事実ではない。

「国家主権」の概念そのものが、ほとんどの国にとって相対的な価値観となったのです。要するに提案されていたのは、世界の唯一の権力の中心に対する忠誠心が高まれば高まるほど、その支配体制の正統性が高くなるという図式でした。

このあと、自由討論を行いますので、皆さんの質問に喜んでお答えしますし、私の質問権も行使したいと思っています。今、私が示した議論を、これからの議論の中で誰かが反証してみて下さい。

服従を拒否する者に対して取られる措置はよく知られており、何度も企てられ試されてきました。武力行使・経済的/宣伝的圧力・内政干渉、そして、紛争への不法介入や不都合な政権の転覆を正当化する必要がある場合における一種の「超法規的」正当性への訴求などがあります。最近では、多くの指導者たちに対して明らかな恐喝が行われたという証拠も増えています。「偉大なる兄弟」が、親しい同盟国を含む全世界を監視下に置くために何十億ドルも費やしているのは、決して無駄なことではないのでしょう。

自分自身に問いかけてみましょう。このことにどれぐらい安心できるか、どれぐらい安全なのか、この世界でどれぐらい幸せに暮らしているか、どれぐらい公正で合理的になったのか。もしかしたら、私たちには、心配したり、議論したり、厄介な質問をしたりする、本当の理由がないのかもしれませんね。もしかしたら、米国の例外的な立場とそのリーダーシップの発揮は、本当に我々全員にとって恵みであり、世界中の出来事への干渉は、平和・繁栄・進歩・成長・民主主義をもたらし、我々はただリラックスして全てを享受すべきなのかもしれません。

それは事実ではなく、絶対にそうではないといわせて下さい。

一方的な独断と自国のモデルの押し付けは、逆の結果を生みます。紛争を解決する代わりに、紛争をエスカレートさせます。主権国家や安定した国家の代わりに、混沌の拡大が見られ、民主主義の代わりに、公然たるネオ・ファシストからイスラム過激派まで、非常に怪しげな大衆への支援が行われています。

彼らはなぜ、そのような人々を支援しているのでしょうか?それは彼らが、自分たちの目標達成の道具として彼らを利用しようとし、そのことで指を火傷したことによる反動なのです。私は、ロシアでいうところの、パートナーが「同じ熊手を踏み続ける」、つまり何度も同じ間違いを犯すことに驚きを禁じ得ないのです。

彼らはかつて、ソ連と戦うためにイスラム過激派の運動を支援したこともあります。それらのグループはアフガニスタンで戦闘経験を積み、後にタリバンアルカイダを誕生させました。西側諸国は支援しないまでも、少なくとも目をつぶり、国際テロリストがロシア(我々はこのことを忘れてはいない)及び中央アジア地域諸国への侵攻に情報・政治・財政的支援を与えたといえるでしょう。アメリカ国内で恐ろしいテロ攻撃が行われた後、初めてアメリカはテロという共通の脅威に目を覚ましました。私たちは当時、アメリカ国民を支援した最初の国であり、9月11日の恐ろしい悲劇に対して、友人として、パートナーとして、最初に反応した国であることを思い出していただきたい。

米国や欧州の指導者たちとの対話の中で、私は常に、地球規模での挑戦として、テロと共に闘うことの必要性を訴えました。私たちはこの脅威を諦め、受け入れることはできないし、ダブルスタンダードで切り分けて考えることもできません。しかし、少し時間が経つと、結局は振り出しに戻ってしまいました。イラクでの軍事作戦、そしてリビアと、崩壊寸前まで追い込まれました。リビアはなぜこのような状況に追い込まれたのでしょうか。今、リビアは崩壊の危機に瀕し、テロリストの訓練場になっています。

現在のエジプトの指導者の決断力と知恵だけが、このアラブの重要な国を混乱と過激派の横行から救ったのです。シリアでは、これまでと同様、米国とその同盟国が反政府勢力に直接資金と武装を提供し始め、さまざまな国からの傭兵で隊列を固めることを許しています。これらの反政府勢力は、どこから資金・武器・軍事専門家を調達しているのか聞いてみましょう。これらはすべてどこから来るのでしょうか?悪名高いISILは、どのようにしてこれほど強力な集団になり、本質的に本物の武装勢力になることができたのでしょうか?

資金源としては、今日、国際連合軍がアフガニスタンに進駐して以来、麻薬の生産が数%ではなく、何倍にも膨れ上がっています。皆さんもご存知の通りです。テロリストは石油を売ってお金を得ているのです。石油はテロリストが支配する領域で生産され、テロリストはそれをダンピング価格で販売し、生産し、輸送します。しかし、誰かがこの石油を買い、転売し、それで利益を得ています。こうして、遅かれ早かれ自国にやってきて破壊の種を蒔くかもしれないテロリストに、資金を提供しているという事実を考えないのです。

彼らはどこで新人を獲得するのでしょうか?イラクでは、サダム・フセインが倒された後、軍隊を含む国家機関は廃墟と化しました。私たちは当時、非常に注意深く行動せよといいました。人々を路上に追い出し、そこで彼らが何をするのか?彼らが地域の大国の指導者であったことを(正しいかどうかは別として)忘れてはならないし、今彼らを何に変えようとしているのか?

その結果どうなったか?何万人もの兵士・将校・元バース党の活動家が街頭に繰り出され、今日では反乱軍の仲間入りをしたのです。おそらくこれが「イスラム国」グループが、これほどまでに兵力を持った理由ではないでしょうか?軍事的には非常に効果的に行動しており、非常にプロフェッショナルな人材が揃っているのです。ロシアは、一方的な軍事行動・主権国家の問題への介入・過激派や急進派になびくことの危険性について、繰り返し警告しました。私たちは、シリア中央政府と戦うグループ、とりわけ「イスラム国」をテロ組織のリストに加えるよう主張しました。しかし、何か成果があったでしょうか。私たちの訴えは無駄でした。

私たちの同僚や友人たちは、自らの政策の結果と常に戦い、自らが作り出したリスクへの対処に全力を注ぎ、これまで以上に大きな代償を払っている、という印象を受けます。

同志たちよ、権力の中心が一つしかないことは、世界のプロセスをより管理しやすくする訳ではないと、この一極支配の時代が説得力を持って示しています。それどころか、この種の不安定な構造は、地域紛争・テロリズム・麻薬取引・宗教的狂信・排外主義・ネオナチズムなどの、真の脅威と戦えないことを示したのです。同時に、国威発揚・世論操作・強者による弱者いじめ・抑圧の道を大きく開いています。

本来、一極集中は、人や国に対する独裁を正当化するための手段に過ぎなません。一極集中は、自称リーダーにとっても、あまりに居心地が悪く、重く、手に負えない重荷であることが分かりました。この点については、つい先だってもこの場で述べた通りであり、私も全面的に賛成です。だからこそ、この新しい歴史的段階において、アメリカのリーダーシップを永続させるための便利なモデルとして、準双極的な世界の姿を再現しようとする試みが見られるのである。アメリカのプロパガンダにおける悪の中心、ソ連のかつての居場所を誰が占めるかは問題ではありません。

主な敵としては、核技術獲得を目指す国としてのイラン、世界最大の経済大国としての中国、核超大国としてのロシアなどです。

今日、私たちは世界を分断し、新たな分断線を引き、何かのためにではなく、誰か誰にでもに対して連合を組み、冷戦時代のように敵のイメージを作り上げ、この指導権もしくは望むなら独裁権を得ようとする新しい労力を目の当たりにしています。冷戦時代には、このような状況が提示されていました。このことは、誰もが理解しているし、知っている。アメリカはいつも同盟国に言っていました。"我々は共通の敵、悪の中心である恐ろしい敵を持っており、この敵から同盟国であるあなた方を守るのだ、だからあなた方に命令する権利がある。あなた方の政治的、経済的利益を犠牲にさせ、この集団防衛のための費用の負担分を支払わせる。しかしもちろん、そのすべてを仕切るのは我々である"。要するに、私たちは今日、新しく変化する世界において、グローバルな管理というおなじみのモデルを再現しようとする試み、そして、これらすべてが彼ら(米国)の例外的な地位を保証し、政治的・経済的配当を得るためのものであることを目の当たりにしています。

しかし、こうした試みはますます現実から切り離され、世界の多様性と矛盾しています。この種の措置は、必然的に対立と対抗措置を生み、期待された目標とは逆の効果をもたらします。政治が軽率に経済に介入し、合理的な判断の論理が、国益を含む自らの経済的地位と利益を傷つけるだけの対立の論理に変わる時、何が起こるかを私たちは見ているのです。

共同経済プロジェクトや相互投資は、客観的に見れば、国同士の距離を縮め、現在の国家間関係の問題を円滑にするのに役立ちます。しかし今日、世界の経済界は欧米諸国政府から、かつてないほどの圧力にさらされています。「祖国が危ない」「自由世界が脅かされている」「民主主義が危ない」といったスローガンを聞いて、どんなビジネス、経済の都合、プラグマティズムが語れるでしょうか。だから、誰もが動員される必要があります。それが本当の意味での動員政策です。

制裁はすでに、世界貿易の基盤・WTOのルール・私有財産の不可侵である原則を損なっています。市場・自由・競争に基づく自由主義的なグローバリゼーション・モデルに打撃を与えようとしています。そして今、彼らはグローバリゼーションのリーダーとしての信頼を失いつつあります。私たちは自問自答する必要があります、なぜこのようなことが必要だったのかと。結局のところ、米国の繁栄は、投資家や海外のドルおよび米国証券保有者の信頼に大きく依存しています。この信頼は明らかに損なわれつつあり、グローバリゼーションの成果に対する失望の兆しが、今、多くの国で見えています。

よく知られているキプロスの前例や政治的動機による制裁は、経済的・金融的な主権を強化しようとする傾向や、国やその地域集団が外部からの圧力によるリスクから自らを守る方法を見つけようとする傾向を、強めるだけでした。すでに、より多くの国がドルへの依存度を下げる方法を模索し、代替的な金融・決済システムや基軸通貨を構築していることが分かります。アメリカの友人たちは、自分たちが座っている枝を切っているに過ぎないと思います。政治と経済を一緒にしてはいけませんが、これが今起きていることなのです。私は、政治的な動機による制裁はすべての人に害を及ぼす間違いだと常に考えており、現在もそう思っています。しかし、この話題はまた後ほど取り上げたいと思います。

私たちは、こうした決定がどのようになされたのか、誰が圧力をかけていたのか、知っています。しかし、ロシアが興奮したり、気分を害したり、誰かの門前払いを食らったりすることはないと強調しておきたい。ロシアは自給自足の国です。形づくられた対外経済環境の中で、国内の生産と技術を発展させ、より果断に行動し、変革を行っていきます。過去にあったような外部からの圧力は、私たちの社会を強固にし、私たちを警戒させ、私たちの主要な開発目標に集中させるだけでしょう。

もちろん、制裁は妨げになります。彼らはこの制裁を通じて私たちを傷つけ、私たちの発展を妨げ、政治的・経済的・文化的に孤立させ、言い換えれば後進国に追いやろうとしているのです。しかし、もう一度いいますが、今日の世界は全く異なる場所なのです。私たちは、誰からも遮断され、ある種の閉鎖的な発展の道を選び、自給自足で生きていこうとするつもりは毛頭ありません。私たちは、経済的・政治的関係の正常化を含め、常に対話に向けてオープンです。ここでは、主要国の経済界における現実的なアプローチと立場を頼りにしています。

ロシアはヨーロッパに背を向けて、新しいビジネスパートナー、とりわけアジアを探している、という人もいます。しかし、それは全く違います。アジア太平洋地域における我が国の積極的な政策は、昨日今日始まったものではなく、また制裁措置に対応したものでもなく、もう何年も続けている政策です。欧米諸国を含む他の多くの国々と同様に、アジアが世界・経済・政治において、これまで以上に大きな役割を果たすようになり、こうした動きを見過ごす訳にはいかないからです。

誰もがそうしていますし、私たちもそうしています。私たちの国の大部分が地理的にアジアにあるのですから、なおさらです。この分野での競争力を活かさない手はないでしょう。そうしないのは極めて近視眼的です。

また、これらの国々と経済的な関係を築き、共同で統合プロジェクトを行うことは、わが国の発展にとって大きなインセンティブとなります。人口動態・経済・文化的傾向のいずれを見ても、唯一の超大国への依存は客観的に減少していきます。このことは、ヨーロッパやアメリカの専門家も語り、書いていることです。

おそらく、世界政治の動向は、世界経済で見られるような動向、すなわち、特定分野に対する激しい競争と、特殊領域における頻繁なリーダーの交代を反映しているのでしょう。これは十分にあり得ることです。

教育・科学・医療・文化といった人道的な要素が、グローバルな競争において、より大きな役割を担っていることは間違いありません。このことは、国際関係にも大きな影響を与えます。この「ソフトパワー」資源は、洗練されたプロパガンダのトリックよりも、人的資本の開発における真の成果に大きく依存することになるからです。

同時に、いわゆるポリセントリック(現地主義)な世界―同僚たちよ、この点にも注目してほしい―の形成それ自体は、安定性を向上させるものではなく、むしろその逆を行く可能性が高いのです。地球規模の均衡を目指すということは、かなり難しいパズルで、未知数の部分が多い方程式に変わりつつあるのです。

では、ルールに従って生きるのではなく、―たとえそのルールが厳しくても、不自由でも―むしろ全てのルールをなくして生きることを選択した場合、私たちには何が待ち受けているのでしょうか?十分あり得るシナリオとして、世界情勢が緊迫している今、その可能性は否定できません。現在の傾向を考慮すると、すでに多くの予測が可能であり、残念ながら、それらは楽観的ではありません。相互の約束と合意の明確なシステムを作らずに、危機的状況を管理し解決するメカニズムを構築しなければ、世界的な無秩序の症状は必然的に大きくなります。

今日、すでに世界の大国が直接または間接的に参加する、一連の暴力的な紛争の可能性が急激に高まっています。その危険因子には、伝統的な多国間紛争だけでなく、個別国家の内部不安定も含まれます。特に、主要国の地政学的利害が交差する場所にある国家、あるいは文化的・歴史的・経済的・文明的大陸の境界にある国家について語るなら、特にこのような混乱が発生する可能性があります。

ウクライナは、もう十分議論されたと思うし、これからも議論されると思いますが、国際的なパワーバランスに影響を与えるこの種の紛争の一例であり、これが最後になることはないと思います。ここから、現在の軍備管理協定のシステムを破壊する次の現実的な脅威が生まれます。この危険なプロセスは、米国が2002年に対弾道ミサイル条約を一方的に脱退し、グローバルなミサイル防衛システムの構築に着手するなど、現在も積極的に推進されています。

同僚たち、友人たちよ、

これは、私たちが始めたことではないことを指摘しておきたい。利害のバランスや相互保証が、恐怖と相互破壊のバランスに取って代わり、紛争と国家との直接関与を妨げる時代に、私たちは再び入りつつあります。法的・政治的手段がないため、またしても武器がグローバルな課題の焦点となっています。武器は、国連安全保障理事会の制裁なしに、どこででも、どのような形でも使用されています。そして、もし安全保障理事会がそのような承認を拒否すれば、それは直ちに時代遅れで効果のない手段だと宣言されるのです。

多くの国家は、自国の主権を確保するためには、自国の爆弾を手に入れる以外に方法がないと考えています。これは極めて危険なことです。私たちは、協議の継続を主張します。私たちは、協議に賛成しているだけでなく、核兵器削減のための協議継続を主張しています。世界に存在する核兵器は少なければ少ないほど良い。しかし、ダブルスタンダードのない、真剣な話し合いでなければなりません。

これはどういうことか。現在、多くの種類の高精度兵器は、その能力においてすでに大量破壊兵器に近い。核兵器の完全放棄や核戦力の抜本的削減が行われた場合、高精度システムの創造と生産をリードしている国は、軍事的に明らかに優位に立つことになります。戦略的平価は崩壊し、不安定化をもたらすと思われます。いわゆる世界初の先制攻撃の利用が誘惑的になるかもしれません。要するに、リスクは減るどころか、強まるのです。

次に明らかな脅威は、民族・宗教・社会的対立のさらなる激化です。こうした紛争は、それ自体として危険なだけでなく、その周辺に無政府・無法・混沌の地帯を作り出し、テロリストや犯罪者にとって快適な場所、つまり海賊・人身売買・麻薬密売が盛んな場所を作り出すからです。

ちなみに、当時、我々の仲間は、こうしたプロセスを何とか管理し、地域紛争を利用し、自分たちの利益になるように「カラー革命」をデザインしようとしましたが、魔物は瓶から逃げてしまいました。制御されたカオス理論の父たち自身も、どうしたらいいか分からず、仲間割れしているようです。

我々は、支配的なエリートと専門家の両方の議論を注意深く観察しています。ここ1年の欧米の新聞の見出しを見れば、十分でしょう。同じ人々が民主主義の闘士と呼ばれ、次にイスラム教徒と呼ばれ、まず革命について書かれ、次に暴動や騒乱と呼ばれます。その結果は明らかで、世界の混沌がさらに拡大します。

皆さん、このような世界情勢を考えると、そろそろ基本的なことに合意する時期に来ているのではないでしょうか。これは非常に重要であり、必要なことです。共通の問題に直面すればするほど、いわば同じ船に乗っていることになります。そして、論理的な解決策は、国家間/社会間の協力、増大する課題への集団的な答えの発見、共同リスクマネジメントにあるのです。しかし、私たちのパートナーの中には、なぜか自分たちの利益になる時だけ、このことを思い出す人たちがいます。

実際の経験から、課題に対する共同回答は必ずしも万能ではないことが分かっています。特に文化的/歴史的伝統の異なる国同士の場合、国益の違いや異なるアプローチの主観を克服することは、容易ではありません。しかし、共通の目標を持ち、同じ基準で行動することで、真の成功を収めた例もあるのです。

シリアの化学兵器問題の解決、イランの核開発計画に関する実質的な対話、そして北朝鮮問題への取り組みについて、思い出してほしい。なぜ、この経験を今後、地域的/世界的な課題の解決に生かすことができないのでしょうか。

発展を妨げる新たな独占企業の形成を許さず、健全な競争を促しながら、安定と安全を可能にする、新しい世界秩序のための法的・政治的・経済的基盤は、どのようなものになり得るのでしょうか。今すぐに誰かが、絶対的・網羅的な既製の解決策を提供できるとは考えにくい。政府・グローバル企業・市民社会、そして私たちのような専門家プラットフォームが幅広く参加し、大規模な作業を行う必要があるのです。

しかし、国際情勢の主要メンバーが基本的な利益の調和と合理的な自制に同意し、積極的で責任あるリーダーシップの模範を示すことができなければ、成功と真の成果が得られないことは明らかです。また、国際法の実効性を高める一環として、安全保障と人権を確保するための国際社会の行動と、国家主権及び内政不干渉の原則との間にあるジレンマを解消しなければなりません。

このような衝突は、複雑な国内プロセスへの外部からの恣意的な干渉をますます引き起こし、幾度となく世界の主要なプレーヤー間の危険な対立を引き起こしています。主権維持の問題は、世界の安定を維持し強化する上で、ほぼ第一に重要なものとなっている。

外部からの武力行使の基準を議論することは極めて困難であり、事実上、特定の国の利益と切り離すことは明らかに不可能です。しかし、誰にとっても明確な取り決めがない場合、また必要かつ合法的な干渉のための明確な条件が設定されない場合、それよりも遥かに危険です。

国際関係は国際法に基づくものでなければならず、それ自体、正義・平等・真実などの道徳的原則に基づくものでなければならない、と付け加えます。おそらく最も重要なことは、相手と相手の利益を尊重することです。これは当たり前のことですが、これを実践するだけで、世界の情勢は激変します。

私は、意志さえあれば、国際機関や地域機関のシステムの有効性を回復できると信じています。特に第二次世界大戦後に作られた制度は極めて普遍的であり、現在の状況を管理するために、十分に現代的な内容を与えられるからです。

このことは、かけがえのない中心的な役割をもつ国連や、40年以上にわたって欧州大西洋地域の安全・協力を確保するために必要なメカニズムであることを証明してきた、OSCEの活動の改善についてもいえます。現在も、ウクライナ南東部の危機を解決するために、OSCEは非常に積極的な役割を果たしていると言わざるを得ません。

国際環境の根本的な変化、制御不能性の増大、さまざまな脅威を考慮すると、責任ある勢力による新たなグローバル・コンセンサスが必要です。それは、古典的な外交の精神に基づく局所的な取引や勢力圏の分割、あるいは誰かによる完全な世界支配のことではありません。私は、新しい相互依存が必要だと思います。それを恐れるべきではない。それどころか、これは立場を調和させるための良い手段なのです。

特に、地球上の特定の地域が強化され、成長していることを考えると、そのような新しい両極を制度化し、強力な地域組織を作り、その相互作用のためのルール開発が客観的に必要とされるのです。これらの拠点間の協力は、世界の安全保障・政策・経済の安定に大きく貢献するでしょう。しかし、このような対話を成立させるためには、すべての地域センターと、その周辺に形成される統合プロジェクトが、互いに補完し合い、誰も人為的に紛争や対立を強いることができないように「発展する権利を平等に持つ必要がある」という前提から、話を進めることが必要です。破壊的な行為は、国家間の絆を破壊し、国家そのものが極度の苦難にさらされ、あるいは完全に破壊されるかもしれません。

昨年のことを思い出していただきたい。私たちは、アメリカやヨーロッパのパートナーに対して、例えばウクライナEUへの加盟について、性急な秘密裏での決定は、経済に深刻なリスクを伴うことを伝えてきました。政治的なことは一切言わず、経済的なことだけを話し、事前の取り決めなしに行われる、こうした措置は、ウクライナの主要貿易相手国であるロシアを始め、多くの国の利害に関わることであり、広く議論することが必要と述べてきたのです。ちなみに、この点については、たとえばロシアのWTO加盟の協議が19年続いたことを思い出して下さい。これは非常に難しい作業でしたが、後にようやく一定のコンセンサスを得られました。

なぜ、このような話をするのか。なぜなら、ウクライナの連合プロジェクトを実施する際、パートナーはいわば裏口から商品やサービスを運んでくるのですが、私たちはこれに同意しておらず、誰もこのことについて尋ねなかったからです。私たちは、ウクライナEUへの加盟に関連するあらゆるトピックについて、粘り強く議論を重ねました。誰も私たちの話を聞こうともせず、話もしようとしませんでした。彼らはただこういうだけでした「これはあなたには関係ないことだ」、「要点」、「議論は終わりだ」。包括的でありながら、文明的な対話の代わりに、政府を転覆させ、国を混乱に陥れ、経済と社会を崩壊させ、膨大な犠牲を伴う内戦に突入させたのです。

なぜ?と同僚に尋ねても、彼らはもはや何も答えず、誰も何もいいません。それだけです。みんな途方に暮れて、ああいう結果になったのだといっています。あのような行動は奨励されるべきではなかった―うまくいくはずがありません。結局のところ―すでに話したことですが―ヤヌコビッチ前ウクライナ大統領は、すべてにサインし、全てに同意したのです。なぜそんなことをしたのか?何の意味があるのでしょうか?これは問題解決のための、文明的な方法なのでしょうか?どうやら、新しい「カラー革命」を次々と起こす人たちは、自分を「優れた芸術家」だと思い込んでいて、どうしてもやめられないらしい。

私は、統合された同盟の活動、地域機構の協力は、透明で明確な基礎の上に築かれるべきだと信じています。ユーラシア経済同盟の形成過程は、その透明性の良い例です。このプロジェクトの当事者である国々は、事前にパートナーにその計画を伝え、我々の協会のパラメータとその活動の原則を明示しました。それは世界貿易機関のルールに完全に適合しています。

また、ユーラシアと欧州連合の間において、具体的な対話の開始も歓迎されたであろうことを付け加えておきます。ちなみに、これについても彼らはほとんど完全に拒否しており、その理由も不明です―何がそんなに怖いのでしょうか。

そしてもちろん、そのような共同作業によって、大西洋から太平洋まで広がる経済的/人道的協力のための共通の空間を作る必要性について、対話を行う必要があると考えるでしょう―私はこのことについて何度も話し、少なくともヨーロッパでは、西側のパートナーの多くから同意を得たと聞いています。

同志たちよ、ロシアは選択したのです。我々の優先課題は、民主的で開放的な経済制度のさらなる改善、世界のあらゆる前向きな現代的傾向を考慮に入れた国内開発の加速、そして伝統的価値と愛国心に基づいた社会の強化です。

我々は、統合を志向し、前向きで平和的なアジェンダを持っています。我々は、ユーラシア経済連合・上海協力機構BRICS、その他のパートナーの同僚と積極的に協力しています。このアジェンダは、政府間の結び付きを深めることを目的としており、解離させるものではありません。我々は、いかなるブロックについても束ねたり、打撃の応酬に巻き込んだりすることは、計画していません。

ロシアが近隣諸国の主権を侵し、ある種の帝国を築こうとしているとの疑惑・発言は、根拠がありません。ロシアは世界の中で特別な、排他的な場所を必要としていません―このことを強調したい。他国の利益を尊重する一方で、自国の利益を考慮し、自国の立場を尊重することを望んでいるだけです。

私たちは、世界が変化し、グローバルな変革の時代へ突入したことをよく認識しています。この時代には、私たち全員が特別な警戒心を持ち、軽率な行動を避ける能力が必要です。冷戦後の数年間、国際政治に参加する人々は、このような資質をやや失ってしまいました。今、私たちはそれを思い出す必要があります。そうでなければ、平和で安定した発展への希望は危険な幻想となり、今日の混乱は世界秩序の崩壊の前兆に過ぎなくなってしまうのだから。

もちろん、より安定した世界秩序を構築することが困難であることは、すでに申し上げた通りです。実に長く、実に大変な作業だということです。私たちは第二次世界大戦後、交流のためのルールを整備し、1970年代にヘルシンキで合意へと到達できたのです。この新たな発展段階において、この根本的な課題を解決すること、それが私たちの共通の義務なのです。

ご清聴ありがとうございました。

プーチンとは、どういう思想の人なのか


このところ、書籍を買ったり調べたりもしていましたが、この動画で初めて知ったこともありました。料理しながら聞いていたのですが、とても感動的な内容で、途中から涙が出てきました。動画を見る時間がない方のために、下に要約してみました。動画の方が伝わるので、できれば実際に見てもらいたいですが。

ちなみに、ここでは今回の戦争の直接、また直近のきっかけには触れていません。精神的な話が主なので、その背景を知ってからでないと、ちょっと理解できないかもしれません。少しだけいうと、戦争に至った経緯は、8年に及ぶジェノサイド、ナチスと同じくロシア人への弾圧です。ウクライナ独立も、同じくネオコンが仕組んだもので、アメリカの当時国務次官補のヌーランドが、ウクライナのデモ参加者たちにお菓子を配っている様子がばっちり映像に映っています。国民の声ではなく、他国(とテロ組織)が扇動したデモだったのです。日本ではあまり暴動などは起きませんが、例えばもし渋谷で血まみれの激闘が起こっているさ中に、他国の政治家が嬉々として、手作りクッキーなど配っていたらびっくりしませんか?

そういえば、政治家の孫崎享氏も『オリバー・ストーン オン プーチン』をお勧めしていました。色々な本が出ていますが(正直読む気にならないタイトルが多いのですが)、やはりこれは中立的に書かれた良書のようです。

この書籍は高騰してしまっていて、私はまだ買えていないのですが、映像の方でも十分理解できます。前の記事のミュンヘン演説クリミア演説でも。ロシア・プーチンが国際情勢において、裏切られ、世界中に悪く喧伝されても、常にどの国とも対話の姿勢をつづけてきたこと、旧ソ連全域に対して愛情を持っていることは、何十年も前から一貫しています。

私は占い師なので、占いの観点からも見てしまいますが、上の孫崎享氏、ネルソン・マンデラダライ・ラマジュリアン・アサンジ、M.I.A、青島幸男メルセデス・ソーサ、ヘレン・ケラーと、優れた政治家・政治活動家・社会活動家は蟹座が多いですね。優れた政治活動には愛国心・人類愛が必須なのだと気付かされました。

天秤座もプーチンの他に、ガンディー、ジョン・レノンがいます。余談ついでに、あと1つだけいっておきたいのは、みなさんよく間違われますがヒットラー牡羊座ではなく、牡牛座です。金星・火星と3つも天体があります。占い師の方、みんながみんな間違えているので(わざと?笑)ちょっとびっくりします。いい占い師の条件は「(まずは)ちゃんと調べてから書く(言う)こと」じゃないかしら。ただでさえ、占い師は「いいかげん」「テキトー」と白い目で見られることも多いのだから、基本の誕生日をちゃんと調べるぐらいはしておきたいところです。

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(9:36ぐらいから)
プーチンが)マスメディアがいうような人とは全くちがう、と個人的に感じたのにはいくつかの理由がある。まず、この人が実権を握り始めた頃、ロマノフ王朝の名誉を復活させた。民意掌握のための方法とも取れなくもないかもしれないが、小手先の考えではできないと私は思った。このロマノフ王朝というのは、フランス革命と同じように栄華を誇り贅沢三昧に過ごしていて、ラスプーチンが入り込み複雑怪奇な印象を与える王朝でもあったが、少なくともこれはDSに倒された。そして実はひどい倒され方をしている。それこそ、だんだんと追い詰められて、羽をもぎ足をもぎ、という殺され方だった。密室の中で本性を現したDSの姿は、たまにこうして垣間見れるが、その筆頭の被害者がロマノフ王朝であった。プーチンはこの名誉を復活させた。ということは、反DSであることだけは間違いない。

そしてもう1つ、僕がプーチンの人となりを感じるのが、彼は熱心なロシア正教会信者であること。これも民間の心を掌握する方法なのかもしれないが、そうとも思えない。ソ連時代は「共産主義という主義が最大のものであって、その前には宗教すら人間に与えられた阿片である」という考えから、ロシア正教会は大変に迫害されていた。ただ、あまりにもロシア正教会の存在感が強いため、完全に消滅させられることはなかった。細々と生き延びていた時に、プーチンはこれを正式に高くすくい上げた。正教会トップの、総主教の方がいて、この人はプーチンと長年の友人関係である。宗教的な背景もそこにはある。もちろん宗教とは政治でもあるので、純粋な信仰か分からないけれども、精神的支柱を重視するロシアというものを作りたかった、ということだけははっきりしている。要するに「共産主義という主義が、人間の魂を超えるものであってはならない」。ロマノフ王朝を復活させ、ロシア正教会を復活させたことで、これだけは間違いがない。

そしてグローバリストは、これをだめにさせるというのが、そのやり方。人間の本来の魂の存在と、誇りとを。その文化に背景を持った応答、つまり殺されたロマノフ王朝の無念の気持ちを汲み取るという精神性。そうした精神性を奪うのが、グローバリズム。そして、もわーっとさせて何も考えられない人間を作って、甘いものを与え、食べさせるだけ食べさせて、糖尿病にさせるかのように、自ら生きる強さを失わせていく、これがグローバリストのやり方だった。プーチンはそれと全く正反対のことをして、彼らと対立している。だから本物なのだ、いいとか悪いとかではなくて、そういう人間であることだけは確かだ、ということがいいたい。

ロシア正教会のキリル総主教は、プーチンと長い間友達である。彼がいうには、ロシアというものは「精神的なもの、魂を背景にした国づくりでなければならない」と。そういう視点に立っているのは、プーチンと同じ。だから今回のウクライナ騒動に関して「政治的な意味合いだけでなく、遥かに重要な人間の魂の救済の問題に関わっている」と。この視点が、日本のマスメディアでは一切語られることがない。語られないというか、語れないのよ、分からないんだから。DSにはそうしたものが、人間の魂というものが、人間の魂を救済するということが、分からない。彼らは人間の魂を奪うことが最終目標だから。だから全く正反対。となると、この戦争の本当の意味が見えてくる。人間の魂を基にする、これからの地球創生か、もしくは人間牧場を作って「お前らの魂を全部奪って、ここを地獄として、私たちが君臨するんだ」―だってそのために、DSは共産主義を作ったのだから―となるのか。正教会のトップは先の言葉で、最終の争いが何であるかを伝えている。

どちらが正しいかをいっているのではなく、そうした背景を持っている。あとは皆さんが個々でお考えになればいいだけの話。ただメディアに乗せられて、糖尿病のもとを撒かれて、訳が分からないまま「ロシアはいやだ」「プーチンはいやだ」というのもいいけれど、それは遊園地を与えられて、知らない間に浸食されていく人類の運命に、加担した流れを作るということ。私は、それは危険だと思っている。

どなたかが「ロシア軍はキエフを壊したくない」といっていたが、その通り。ロシア正教会キエフに本部・主だったものがあって、そこを中心に発展していったのだから。東スラブの民の魂のシンボルであり、それを知っているのがゼレンスキー、ウクライナ(軍?、ウクライナ軍にはネオナチが含まれる)。なので、ロシアは絶対に攻めてこないということを、あいつらは知っている。だから人間を盾に取れば何もできないと。そしておびき寄せておいて、攻撃しているという構造。そうした構造があることを分からなければいけない。

メディアはそういうことを伝えちゃうと、後ろめたいし、まずいから、やっぱり戦禍を目に見える形でロシアのせいにしている。実際あの戦禍すらも、ウクライナが仕掛けている部分も絶対にある。なので、やはり公平に見た方がいいんじゃないかなと。プーチンにとって、鬼の目にも涙ともいえる、弱点はある。人間の魂に対する毅然とした態度を通す人は、弱点もあって、卑怯なことができない。だからプーチンが絶対にキエフを壊さないことを(ウクライナ側は)分かっている。でもここまで来たら分からない、やはりヤクザなので、何をするか分からない。皆さんが心配するように、そういう意味でプーチンは分からないところがある。しかし、今まさに膠着して、留まっているのはそうした背景がある。プーチンの名誉のためにも、一応そのことを語っておきたい、という気持ちを私は持っている。

彼は武士道に対する信奉者であって、自身も柔道の達人。山下(泰裕、現・日本オリンピック委員会学長、元・オリンピック金メダリスト)なんて、プーチンと親しい、友達なんだよ、本当は。だらしないよね、こういう時に何1ついえないんだ。日本の政府の前で。偉くなっちゃったんだよね、出世したんだろうね。それから自民党、清和会でもいたよね、森・元総理。プーチンと友達のはず、日本魂というものを通しての。しかしこうなってくると、あんなにでしゃばっていたおじいちゃんが、いきなり出てこなくなる訳だよね、何1つね。だから、本当の武士道を通しているのはどっちか、山下や森は恥を知らなきゃいけないんじゃないか。

すなわち、グローバリズムのやり方は、人の魂を不在にし、溶解し、今いったようなことが人生の目的でないと思わせることが1番の力だった、という勢力。そしてそれに対抗したプーチンは、まずロマノフ王朝を復活させた、人情だよ、それは。そしてロシア正教会の総主教が、これは魂の奪い合いの戦争なんだという視点に立ったように、私にもまさにそう見えている。

こういうことをいうと「じゃあロシアに住めばいいじゃない」とかいわれるけど、そういう問題じゃない。私は何が起きてるかを説明している。私の中には日本人の遺伝子があって、そして言霊に対する1つの自分なりの確信があって、和歌の重要性を知り、日本人としての立場で、これからも何事もやっていこうとしている。「ロシアに行っちゃえ」とか(野次をいう人は)、狂ってるんじゃないかと。真実を見る目を失わせようとしているのが、グローバリズムの教育だった。私たちは、精神的な糖尿病に罹っているのだ、ほとんどの人が。そこに巣食っているのがメディアであると。だからやっぱり、魂の本当の敵は、今はメディアだと私は思う。そしてこの対立の姿勢が、最後の戦争として浮かび上がってくる時、戦争というのは人間の魂を消滅させるか、もう一度復活して取り戻すかの1つの最終戦争という形を見せてきている。そうした面があると、私には思えてきている。

日本も、心の存在、魂の存在、武士道が、なくなっていっているのかもしれないね。でも最後に私たちが拠り所にするところは何か、死んでも持って行けるもの以外に、「道」を見つけることはできないんじゃないか。そしてそれが、日本人じゃないかと思うのだけれど。

『オリバー・ストーン オン プーチン』

オリバー・ストーン オン プーチン』の4つのエピソードのうち、エピソード1が最近youtubeに上がっていたようです。Amazon primeで観られない方はぜひ。

それと、ストーン監督のBBCインタビュー映像。いつも通り否定的なメディア側に対して、相手以上に厚みのあるアイロニーとウィットで答えていてさすがでした。本編のエピソード4、取材最後の辺りでプーチンから「殴られたことはあるか?」と聞かれ「何度も」と答えていたストーン監督。プーチンはこの映像が公開されることで、監督がまたそういう目に遭うことを危惧していました。それだけの覚悟のある人の“冗談”は、やはり実が詰まっていて、豊かな喚起力と説得力のある言葉だと思います。

プーチン大統領「クリミア演説」全文 2014年

※こちらも翻訳していたのですが、演説当時に在日ロシア連邦大使館の公式HPにて掲載されていた日本語訳をそのまま転載されていたページを見つけましたので、以下それをそのまま掲載します。ロシア大使館の公式では、すでにアーカイブ切れとなっているようです(個人的には歴史的にも大事な演説は個別に残しておいてほしいと思うのですが・・・何か事情があるのかもしれません)。

西側の偏った報道ばかりが流されている現状、この戦争の背景やそこへ至った歴史についてよく分からない方が殆どかと思います。私自身も詳しいわけではありませんし、だからこそこれまで政治について調べることはあっても、発信することは避けていました(ちなみに私が違和感を感じたのは9.11から、かなりの時間を使って調べるようになったのは3.11からです)。けれど(報道されている一方だけの)「戦争は悪い」だけでは何の議論も理解も生まれませんし、そのような無理解がある特定の民族・文化を黙殺し、見殺しにする可能性もある、というのは普遍的な事実です。例えば、私の好きな歌手や芸術家も、メディアによって殺された面があります。それだけ「情報」は偽物であっても、というか偽物だからこそ、大きな力を持つのです。

目くらましだけを見た批判の前に、今一度調べてみて、知ってほしいと思うのです。その意味で、うわべの言葉遊びに興じること、それに賛同することに、真理を突くことはいつまで経ってもできません。これはゲームの中ではなく、実際に多くの人が常に恐怖を感じながら何とか生き延びていて、実際に命を落としてしまっている現実のことなのです。当事者以上に命を軽んじている人たちにこそ、発言や発表の場があることを不思議に思い、当事者の真意が届けられないここ最近のニュースについて、本当に痛ましく思っています。

Amazon primeで『オリバー・ストーン オン プーチン』というドキュメンタリーがあります。オリバー・ストーン監督はベトナム帰還兵としての体験があり、戦争を題材にした多くの作品の中で、アメリカ政府を批判してきました。これは監督が2年以上にわたってプーチン大統領にインタビューした作品です。控えめにいっても、映像も美しく、ストーン監督の執拗な質問と、それに対するキレのある回答は見応えがあり、ご視聴をおすすめします。見れば誰にでも分かることなので、このぐらいはいってもいいかと思いますが、どこかの国のリーダーとは大違いです。

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ロシア議会上下院、地方首長、市民団体の代表に向けたV.V.プーチン大統領の演説
(クリミアの復帰に関して、全文)
2014年3月18日、クレムリン

こんにちは、尊敬する上院議員、尊敬する下院議員!尊敬するクリミア共和国とセバストポリ市の代表者たち!ロシア国民!彼らは、クリミアとセバストポリ市の住民は、ここに、私たちの間にいます!

尊敬する友人たち、今日私たちは、私たち全員にとって極めて重要な意味を持ち、歴史的意味を持つ問題でここに集まりました。3月16日、クリミアで住民投票が行われました。住民投票は民主的手続きと国際法の規定に完全に合致したものでした。

有権者の82%以上が投票に行きました。96%以上がロシアへの復帰に賛成票を投じました。この数字は極めて説得力のあるものです。

どうしてこのような選択がなされたのかは、クリミアの歴史を知れば、またクリミアにとってロシアがどのような意味を持ち、ロシアにとってクリミアがどのような意味を持つのか知れば理解できます。

クリミアでは文字通りすべてに私たちの共通の歴史、共通の誇りが息づいています。ここには聖ウラジーミル公が洗礼を受けた古代のケルソネス市があります。彼の宗教的偉業―正教の受け入れ―はロシア、ウクライナベラルーシをひとつに結びつける共通の文化、価値観、文明の基盤となりました。クリミアにはロシア兵士の墓地があります。1783年、その兵士の勇敢な戦いにより、クリミアはロシア帝国の傘下に入りました。クリミアといえばセバストポリ市です。伝説の都市、偉大なる運命の都市、要塞都市であり、ロシア黒海艦隊の故郷です。クリミアといえばバラクラヴァ市とケルチ市であり、マラコフ・クルガンの高地とサプン・ゴラの高地です。このひとつひとつの場所が私たちにとっては神聖であり、ロシアの軍事的栄誉の象徴であり、大いなる武勲の象徴です。

クリミアは様々な民族の文化と伝統のユニークなるつぼでもあります。その意味でクリミアはロシア本土とよく似ています。ロシア本土もまた、数世紀の間、ひとつとして民族が消失したり溶解したりしたことはありません。ロシア人もウクライナ人も、クリミア・タタール人もその他の民族も、皆が自分たちの慣習や伝統、言語や宗教を守りながらクリミアの地で仲良く暮らし、働いてきました。

ちなみに、現在220万人いるクリミアの人口のうち、ほぼ150万人がロシア人であり、35万人が主にロシア語を母語だと考えるウクライナ人です。29万から30万人がクリミア・タタール人であり、その大部分が、住民投票から分かる通り、ロシアを志向しています。

確かに、クリミア・タタール人が、ソビエト連邦のある他の民族と同様に、残酷な不平にさらされた時期もありました。ひとつ言っておきます。当時、様々な民族の数百万人が弾圧を受けましたが、その筆頭は当然ロシア人でした。クリミア・タタール人は故郷の地に戻ったのです。クリミア・タタール民族の更生プロセスを完遂させるのに必要なすべての政治的・法的決定がなされるべきであり、彼らの権利と名誉を完全に回復させる決定がなされるべきだと思います。

私たちはクリミアに住むすべての民族に敬意を抱いています。クリミアは彼らの共通の家であり、故郷です。ですから、これはクリミアの住民も支持していますが、クリミアにロシア語、ウクライナ語、クリミア・タタール語の3言語が国語として同等に存在することが正しいのです。

尊敬する同僚たち!人々の心の中、意識の中では、クリミアは常にロシアの不可分の一部でした。真実と正義に基づいたこの確信はゆるぎないものであり、世代から世代へと受け継がれてきたものです。この確信の前には時間も情勢も無力であり、私たちが体験してきた、20世紀を通して私たちの国が体験してきた劇的な変革でさえもすべてが無力です。

革命後、ボリシェビキはさまざまな理由から、歴史的にロシア南部であった領土の大部分をソビエト連邦ウクライナ共和国に編入しました。ボリシェビキは神の裁きを受けることでしょう。この決定は住民の民族構成を考慮せずになされたものであり、それが現在のウクライナ南東部です。そして1954年、さらにクリミア州もウクライナ共和国に引き渡すという決定がなされました。同時に、当時は連邦直轄都市だったはずのセバストポリ市も引き渡されました。これを発意したのはソビエト連邦共産党のトップであったフルシチョフ本人です。何が彼を突き動かしたのか―ウクライナ特権階級の支持を得たかったのか、はたまた30年代のウクライナでの大弾圧の罪を償いたかったのか―それは歴史学者が調べることでしょう。

私たちにとって重要なのは別の視点です。この決定は当時の憲法の規定にさえ明らかに違反していました。非公式に内輪で勝手に決めたことなのです。全体主義国家では、クリミアやセバストポリ市の住民が意見を尋ねられることは当然ありませんでした。ただ事実を突き付けられたのです。当時でも、人々は当然ながら、どうして突然クリミアがウクライナ編入されたのかと疑問を持ちました。しかし正直なところ、―皆知っていることですから、率直に言いましょう―、正直なところ、この決定は単なる形式的なものだと捉えられていました。なにしろ、領土はひとつの大きな国の枠内で引き渡されたのです。当時は、ウクライナとロシアが一緒でなくなり、別々の国家になることなど想像することもできませんでした。しかし、そうなったのです。

信じられないと思われたことが、残念ながら現実のものとなりました。ソビエト連邦は崩壊したのです。事態の進展はあまりにも急激で、当時起こっていた出来事やそれがもたらす結果の重大性を完全に把握している国民はほとんどいませんでした。ロシアでもウクライナでも、さらに他の共和国でも、人々の多くはそのときにできあがった独立国家共同体(CIS)が新たな国家の枠組みになるものと期待していました。何しろ共通の通貨を持ち、ひとつの経済圏を形作り、共通の軍隊を持つと約束されていたのです。しかし、それは単なる約束に終わり、大国は消失しました。そして、クリミアが突然として外国のものになってしまったとき、その時になってロシアはただ盗みにあったのではなく、強奪されたのだと実感したのです。

しかし、ロシア自身も「主権のオンパレード」を始動させたことでソ連崩壊を促進しましたし、ソ連崩壊の手続きではクリミアのこと、黒海艦隊の主要基地であるセバストポリ市のことを忘れてしまっていた事実は率直に認めなくてはなりません。何百万人ものロシア人がひとつの国で眠りにつき、目を覚ますと外国にいたのです。彼らは一瞬にして旧ソ連共和国で民族的少数派になってしまったのです。ロシア人は世界最大のひとつ、世界最大と言ってもいいくらいの分断された民族となったのです。

現在、それから長い年月が過ぎ、つい最近になってクリミアの人々が、1991年のあのとき、自分たちは袋に入ったジャガイモのようにあちらからこちらへと引き渡されたのだと話しているのを聞きました。これには同意せざるを得ません。あのとき、ロシアはいったいどうしたのでしょう?ロシアは?うなだれて、受け入れ、この屈辱をぐっと堪えたのです。私たちの国はひどい苦境にあり、自国の利益を守ることさえできない状態でした。しかし、人々はこのひどい歴史的不正を受け入れることはできませんでした。この間、国民も多くの社会活動家も何度となくこの問題を提起し、クリミアはロシア固有の土地であり、セバストポリ市はロシアの都市だと言ってきました。それはよく分かっていましたし、心で感じていることでした。しかし現実に立脚して、新たな基盤のもとに独立ウクライナとの善隣関係を築かなければなりませんでした。ウクライナとの関係、兄弟であるウクライナ国民との関係は、一切の誇張を抜きにして、これまでも、そしてこれからも私たちにとって最も大切で重要なものです。

今日となっては率直に話すことができます。皆さんと2000年代初頭に行われた交渉の詳細を共有したいと思います。当時、ウクライナのクチマ大統領からロシア・ウクライナ国境画定のプロセスを加速させるよう私に要請がありました。当時までこのプロセスはほとんど進んでいませんでした。ロシアはクリミアをウクライナの一部と認めたようであり、それでいて国境画定交渉は行われていませんでした。このプロセスが困難であることは分かっていましたが、私はすぐにロシア側の省庁に作業を活発化するよう指示しました。国境画定に合意することで、私たちが実質的にも法的にもクリミアをウクライナ領として認めようとし、それによりこの問題に終止符を打とうとしていることが誰にでも分かるようにするための国境画定作業です。

私たちはクリミアの問題だけではなく、アゾフ海海域とケルチ海峡の国境線画定といった極めて難しい問題でもウクライナに譲歩しました。どうしてでしょうか?ウクライナとの良好な関係が私たちにとっては最も重要なものであり、それが行き詰った領土問題の人質になっていてはいけないという思いからです。しかしこのとき、ウクライナが今後も当然私たちのよき友人であり続けると考えていましたし、特にウクライナ南東部とクリミアに住むロシア人やロシア語を話すウクライナ国民が友好的で民主的な文明国家に暮らし、彼らの法的利益が国際法の規定に従って保障されるものと考えていました。

しかし、状況は別の方向に進み始めました。ロシア人から歴史的記憶を奪おうとする試みが次々と行われ、時には母語を奪おうとすることも試みもありました。ロシア人に同化を強制しようとしたこともありました。また当然のことながら、ロシア人は、ほかのウクライナ国民と同様に、20年以上にわたってウクライナを揺るがし続けている恒常的な政治的・国家的危機に苦しめられてきました。

どうしてウクライナの人々が変革を望んだのか、よく理解できます。「独立」し、自立してからのこの年月、いわば人々は政権に「うんざり」したのであり、あきあきしたのです。大統領、首相、議会の議員は変わっても、彼らの自国と自国民に対する考え方は変わりませんでした。彼らは権限や資産、資金の流れを巡ってお互いに争いながら、ウクライナを「搾り取って」いったのです。政権等は一般市民が何をもってどんな暮らしをしているのか、どうして数百万人のウクライナ国民が自国では自分の将来に展望を見いだせず、日雇い労働のために外国へ出て行かなくてはならないのかにはほとんど興味がありませんでした。指摘しておきますが、シリコンバレーへの就職ではなく、日雇いの出稼ぎです。昨年のロシアだけでも、そういった人々が300万人も働いていました。2013年に彼らがロシアで稼いだ金額は200億ドル以上であるという試算もあり、これはウクライナGDPの12%にあたります。

繰り返しますが、汚職や非効率な国家運営や貧困に反対し、平和的なスローガンを掲げてマイダン広場に集まった人たちのことは良く理解できます。平和的なデモ活動の権利、民主的手続き、選挙は人々が納得いかない政権を変えるためにこそ存在しています。しかし、ウクライナでの最近の出来事を裏で操っていた人々は別の目的を追求していました。彼らは何に対しても決してひるむことなく、また新たなクーデターを準備し、政権奪取を企てていました。テロも殺人も略奪も活用されました。クーデターの主要な実行者となったのはナショナリスト、ネオナチ、ロシア恐怖症の人々と反ユダヤ主義者たちです。まさにその彼らが今日に至るもまだ、様々な意味でウクライナでの生活を決定づけているのです。

いわゆる新「政権」が最初に行ったことは、言語政策の見直しに関する恥ずべき法案の提出であり、この法案は民族的少数派の権利を真っ向から侵害するものでした。ただし、今日「政治家」となった人々の海外スポンサーであり、「政権」の後見人である人々はすぐにこの企ての発案者をたしなめました。彼らは賢い人間であり、そこは評価しなくてはなりません。民族的に純粋なウクライナ国家を建設しようとする試みが何をもたらすのかを彼らはよく理解しています。法案は延期され、脇へ退かされましたが、明らかに万一の時に備えて残してあるのです。法案が存在する事実を今は押し黙っていますが、おそらく人間の記憶が短いことをあてにしているのでしょう。しかし、第二次世界大戦時のヒトラーの協力者であるバンデーラの思想継承者たちがウクライナで今後いったい何をしようとしているのかは、今や誰が見ても明白です。

また、ウクライナには正統な政権がいまだになく、話をする相手がいないこともまた明白です。国家機関の多くは身元詐称者が占拠しており、彼らは国を全くコントロールしておらず、むしろ彼ら自身が、―これは強調しておきたいのですが―、彼ら自身が往々にして過激派の支配下に置かれているのです。現政権の大臣の中には、マイダン広場の武装勢力の許可を得なければ面会さえできない大臣もいるのです。冗談ではなく、これが今日の現実なのです。

クーデターに抵抗した者にはすぐに弾圧と懲罰をちらつかせた脅しが始まりました。その先頭にいたのは当然クリミアです。ロシア語圏のクリミアです。そのため、クリミアとセバストポリ市の住民はロシアに対し権利と生命の保護を求めました。またキエフで、そしてドネツク市やハリコフ市やその他のウクライナの町で起こっていることを波及させないよう求めたのです。

当然、私たちはこの要請を拒否することはできませんでした。クリミアとその住民を見捨てることはできませんでした。そんなことをすれば、ただの裏切りです。

まず最初に、平和で自由な意思表示ができる環境を整備し、クリミアの住民が史上初めて自らの運命を自分で決定できるよう支援する必要がありました。しかし、今日、私たちは西欧や北米の同僚からいったい何と言われているでしょう?私たちは国際法の規定に違反していると言われているのです。第一に、彼らが国際法の存在を思い出しただけまだましです。思い出さないよりは遅くなってしまってもいいのですから、それだけでも御の字です。

第二に、これが最も重要ですが、私たちがいったい何に違反しているというのでしょうか?確かに、ロシア連邦大統領は軍をウクライナで使用する権利を議会上院から取り付けました。しかし、厳正に言えば、その権利はまだ行使されてもいないのです。ロシア軍はクリミアに進軍してはいません。彼らは国際条約に基づき、元々そこにいたのです。確かに、私たちは兵力を強化しました。しかし、―ここは強調したいところで、皆さんに良く聞いてもらいたいのですが―、私たちはクリミア駐留軍の兵力定数を超えて増強したりはしていません。定数は2万5000人ですが、今までそこまでの必要がなかっただけのことです。

さらに言いましょう。クリミア最高議会は独立を宣言し住民投票を発表するにあたり、民族自決権を謳った国連憲章を根拠としました。思い出していただきたいのですが、当のウクライナソビエト連邦脱退を宣言するにあたり、同じこと、ほぼ文字通りに同じことをしたのです。ウクライナではこの権利を行使したのに、クリミアには拒否しています。なぜでしょうか?

また、クリミア政府は有名なコソボの先例にも立脚しました。その先例は西側のパートナーたちが自ら、いわば自らの手で作り出したものであり、クリミアと全く同じ状況で、セルビアからのコソボ分離を合法と認め、一方的な独立宣言には中央政府の許可は一切必要ないことを皆に知らしめたのです。国際司法裁判所国連憲章第1条第2項に基づきこれに同意し、2010年7月22日付の決定に次のように記しました。「安全保障理事会の慣例からは一方的独立宣言に対するいかなる一般的禁止も推論されない。」そして、さらに「一般国際法は独立宣言について適用可能な禁止事項を含まない。」すべてきわめて明瞭です。

私は引用が好きではありませんが、しかし仕方ありません。もう一つ公式文書の抜粋を挙げましょう。今度は、2009年4月17日付のアメリカ合衆国の覚書で、コソボ審理に関連して当の国際司法裁判所に提出されたものです。再び引用します。「独立宣言は、往々にしてそうであるように、国内法に違反することがある。しかし、それは国際法違反が起こっていることを意味するものではない。」引用おわり。自らこのように書き、世界中に吹聴し、皆に「同意させて」おきながら、今度は憤慨しています。何に腹を立てているのでしょう。クリミア住民の行動はこの「マニュアル」とでも言うべきものにぴったり一致しています。なぜコソボアルバニア人に許されたことが(私たちはアルバニア人には敬意を抱いています)、クリミアのロシア人やウクライナ人やクリミア・タタール人には禁止されるのでしょうか?再び同じ疑問です。なぜでしょうか?

当のアメリカやヨーロッパはまたしてもコソボは特殊なケースなのだというようなことを言っています。私たちの同僚はいったい何が特殊だと考えているのでしょうか?それが、コソボ紛争で多くの人的被害が出たことが特殊だというのです。これが法的な論拠だとでもいうのでしょうか?国際司法裁判所の決定にはそんなことは何も書かれていません。これはもうダブルスタンダードでさえありません。驚くほどに稚拙で無遠慮な皮肉か何かです。このように乱暴に何もかもを自分の利益に合うように整え、同じひとつのものを今日は白と呼び、明日は黒と呼ぶようなことはあってなりません。つまるところ、すべての紛争は人的被害が出るところまで持って行かなくてはならないということでしょうか?

率直に言いましょう。もしもクリミア自衛軍が時宜を得て状況をコントロールしていなければ、犠牲者が出てもおかしくはありませんでした。幸いなことに、そうはなりませんでした!クリミアでは武力衝突は一度も起こらず、人的被害もありませんでした。なぜだと思いますか?答えは簡単です。なぜなら、国民とその意思に反して戦うことは難しく、むしろ事実上不可能だからです。これについては、私はウクライナ兵に感謝したいと思っています。兵員数はかなりの数で、完全武装兵が2万2000人です。流血の惨事を避け、自らを血で汚さなかったウクライナ兵に感謝したいと思います。

これについては、当然、別の考えも浮かびます。ロシアのクリミア介入だとか、侵略だとか言われていますが、これを聞くと奇妙な感じがします。歴史を見ても、ただの一発も発砲せず、一人の犠牲者も出さずに行われた軍事介入など、私は思い出すことができません。

尊敬する同僚たち!ウクライナを巡る情勢には、現在世界で起こっていること、さらにはこの数十年にわたって世界で起こってきたことが鏡のように映し出されています。二極体制の消失後、世界から安定が消えました。主要な国際機関は強化されるどころか、残念ながら往々にして退化しています。アメリカ合衆国を筆頭とする西側のパートナーたちは政治の実践において国際法ではなく、力による支配に従うことを好んでいます。彼らは自分が選ばれし特別な存在であると信じ切っており、世界の運命を決めるのは自分であり、常に自分だけが正しいのだと信じ切っています。彼らは思いつくままに行動しています。あちこちで主権国家に対して武力を行使し、「ついてこない者は敵である」の原則に従って同盟を築いているのです。侵略を合法的に見せるため、国際機関から必要な決議を「引き出し」、何らかの理由でそれがうまくいかない場合は、国連安全保障理事会も国連そのものをも全く無視するのです。

ユーゴスラビアの時がそうでした。私たちは1999年のそのときのことをよく覚えています。信じがたいことでした。自分の目が信じられませんでした。20世紀末、ヨーロッパの首都のひとつ、ベオグラードの町が数週間にわたってミサイル攻撃にさらされ、その後、本格的な軍事介入が行われたのです。はたしてそのような行動を許可する国連安保理決議があったでしょうか?そんなものはありませんでした。その後、アフガニスタンがあり、イラクがあり、リビアに関する国連安保理決議のあからさまな違反がありました。飛行禁止区域を守るのではなく、またしても空爆が始まったのです。

また、操作された一連の「カラー」革命もありました。この出来事が発生した国々では、人々が圧政や貧困、展望の見えない状態に疲れ切っていたことはよく分かります。しかし、その感情は皮肉にも利用されたのです。これら国々は民族の生活様式にも伝統にも文化にも全く合わない基準を押しつけられました。その結果、民主主義と自由のかわりに生まれたのは混沌、暴力の爆発、度重なるクーデターです。「アラブの春」は「アラブの冬」に取って代わられたのです。

同じようなシナリオがウクライナでも展開されました。2004年、大統領選挙で自分たちに必要な候補者を通すために、法律に規定されていない第3回決選投票なるものが行われました。これは全くばかげたことであり、憲法を愚弄したものです。そして今回は、事前に訓練され、周到に装備した武装勢力の軍隊を投入してきたのです。

私たちは何が起こっているのか、よく分かっています。この行動がウクライナに矛先を向け、ロシアにも向けていること、ユーラシア圏の統合に向けているものであることは分かっています。そして、これはロシアが誠実に西側の同僚たちとの対話を目指していたのに起こったのです。主要な問題において、私たちは常に協力を提案しています。信頼関係のレベルを向上させたいのです。私たちの関係が対等で、オープンで、誠実なものであってほしいのです。しかし、相手側からの歩み寄りはありませんでした。

それどころか、私たちを次々と騙し、私たちのいないところで決定を下し、私たちには既成事実を突きつけたのです。NATOの東方拡大のとき、ロシアの国境付近に軍事インフラを配備したときもそうでした。私たちに対してはいつも同じことを繰り返していました。「あなた方には関係しませんよ」と。関係しないなんて、簡単に言ってくれたものです!

ミサイル防衛システム展開の時もそうでした。私たちの懸念を無視して、機械は進み、動いています。査証交渉の終わりの見えない長期化もそうですし、公平な競争とグローバル市場への自由なアクセスについての約束もそうです。

今、私たちは制裁に脅かされていますが、そうでなくとも私たちは多くの制約の下に暮らしています。私たちにとって、ロシア経済にとって、私たちの国にとってはきわめて重大な制約です。たとえば、「冷戦」期にアメリカが、それに続いて他の国々も、いわゆるココムリストを作成し、多くの技術や設備について、ソ連への販売を禁止しました。現在、このリストは形式的には廃止されていますが、それはあくまで形式的なものであり、実際には多くの禁止事項がいまだに機能し続けています。

一言で言えば、18世紀、19世紀、20世紀を通してロシアに対して実施された悪名高き抑止政策は今日もまだ続いていると考えるのが妥当です。私たちが独立した立場をとり、その立場を守ろうとし、偽善者ぶらずに物事を言うので、私たちを常にどこかの片隅に追いやろうとしているのです。しかし何事にも限度があります。ウクライナの場合、西側のパートナーたちは一線を越え、乱暴で、無責任で、そしてプロ意識にかける振る舞いをしました。

ウクライナにもクリミアにも数百万人のロシア人が住んでいることを彼らはよく知っていました。いったいどれほどの政治的感覚と節度を失えば、自分の行動の結果が見えなくなるのでしょう!ロシアはもう後に引くことのできない限界に立たされたのです。バネを限界まで押さえつければ、いずれは跳ね返ります。それを肝に銘じておく必要があります。

今日必要なことは、ヒステリーを止め、「冷戦」期の修辞から離れ、明白な事実を認めることです。ロシアは国際社会における独立した積極的な参加者なのであり、ロシアにも他の国と同様に国益があり、それは考慮され、尊重されなければなりません。

私たちはクリミアでの私たちの行動に理解を示してくれたすべての人に感謝しています。中国の国民に感謝しています。中国指導部はウクライナとクリミアの情勢をその歴史的、政治的全体像を考慮しています。インドの自制した、客観的態度を高く評価しています。

今日、私はアメリカ合衆国の国民に言いたいと思います。彼らは建国以来、独立宣言を採択して以来、自由至上主義を誇りとしてきました。自分の運命を自由に選択したいというクリミア住民の欲求は同様な価値のあるものではないのですか?私たちを理解してください。

ヨーロッパ人、とりわけドイツ人も私を理解してくれると信じています。東西ドイツ統一に関する政治協議が、控えめに言って専門家レベルで、しかし極めて高いレベルで行われていた時、ドイツの同盟国である国、そして当時同盟国であった国のうち、統一という考えそのものを支持した国は多くはありませんでした。しかし私たちの国はそれとは逆に、ドイツ人の誠実で押さえることのできない民族統一の欲求をはっきりと支持したのです。そのことをあなたたちは忘れていないと確信しています。そしてドイツ国民もまた、ロシア世界の、歴史的ロシアの統一を復活させたいという欲求を支持してくれると期待しています。

ウクライナ国民に言います。あなたたちが私たちを理解してくれることを心から望んでいます。私たちはあなたたちに害を及ぼそうとか、国民感情を侮辱しようなどとは決して思っていません。私たちは常に大国ウクライナの領土の一体性を尊重してきました。自分たちの政治的野心のためにウクライナの一体性を犠牲にした人々とは違います。彼らは偉大なるウクライナを謳ったスローガンを掲げて着飾っていますが、国を分断するためにすべてを行ったのは彼らなのです。今日の内紛はすべて彼らの責任です。親愛なる友人たち、あなたたちに私の話を聞いてほしいのです。ロシアを使ってあなたたちを脅し、クリミアの次はほかの地域だと叫ぶ人々を信じないでください。私たちはウクライナの分裂を望んではいません。そんなものは私たちには必要ないのです。クリミアについては、これまでもそしてこれからもロシアのものであり、ウクライナのものであり、クリミア・タタールのものです。

繰り返しますが、これまで何世紀にもわたってそうであったように、クリミアはこれからもそこに暮らすすべての民族にとっての故郷です。決してバンデーラ主義者のものにはなりません!

クリミアは私たちの共通の財産であり、地域安定の重要なファクターです。このような戦略的領土は強く安定した主権の下にあるべきで、それは実際、今日においてはロシアの主権下でしかあり得ません。親愛なる友人たち(ウクライナとロシアに言っているのです)、そうでなければ、私たち―ロシア人とウクライナ人―は、歴史的に見て近い将来、クリミアを完全に失うことになるかもしれません。この言葉をどうかよく考えてみてください。

キエフではすでにウクライナが近くNATOに加盟するという声明が出ています。この展望がクリミアとセバストポリ市にとって何を意味するでしょうか?ロシア軍の栄光の町にNATOの艦隊が現れるようなことになれば、ロシア南部全域にとっての脅威となるでしょう。この脅威は幻でも何でもなく、きわめて身に迫る脅威です。実際に起こったかもしれないことはすべて、クリミア住民の選択がなければ本当にすべて実際に起こったかもしれません。クリミア住民に感謝しています。

ちなみに言えば、私たちはNATOとの協力に反対しているわけではありません。全く反対ではありません。私たちが反対しているのは、軍事同盟が、様々な内部プロセスはあってもNATOは軍事組織ですから、その軍事組織がうちの柵の近くで、我が家の近所で、私たちの歴史的領土の中で我がもの顔をしていることに反対しているのです。たとえば、私たちがセバストポリに行ってNATOの海軍兵士に客人として迎えられるなど、私には想像もできません。彼らの多くはすばらしい青年たちです。しかし、セバストポリでは私たちが彼らを客人として迎える方がよいのです。

率直に言いましょう。私たちは今ウクライナで起こっているすべてのことに、人々が苦しんでいることに、彼らが今日をどのように生き、明日はどうなるのか分からないでいることに心を痛めています。私たちが心配するのもよく分かります。何しろ私たちは単なる隣人ではなく、私が何度も言っているとおり、事実上、ひとつの民族なのです。キエフはロシアの町にとっては母なる都市です。古代ルーシは私たちの共通の起源であり、私たちはいずれにせよお互いがいなければやっていけないのです。

もうひとつ言いましょう。ウクライナには今も、そしてこれからも数百万人のロシア人、ロシア語話者である国民が暮らしていきます。そして、ロシアは常に政治的、外交的、法的手段を使って彼らの利益を保護していきます。しかし、まずは当のウクライナがこういった人々の権利と利益が保証されるよう関心を払わなければなりません。それがウクライナの国家としての安定と領土の一体性の基礎となるのです。

私たちはウクライナとの友好を望んでいます。ウクライナが強く、主権を持った、自立した国家になることを願っています。私たちにとってウクライナは主要なパートナーのひとつなのです。私たちには多くの共同プロジェクトがあり、何があったとしても、これらのプロジェクトの成功を私は信じています。そして何よりも、私たちはウクライナの地に平和と融和が訪れることを願っています。そのためには他国とともに最大限の協力と支援をする用意があります。しかしもう一度繰り返します。自分の家に秩序をもたらすことができるのは他でもないウクライナ国民だけなのです。

尊敬するクリミアとセバストポリ市の住民の皆さん!ロシア全土があなたたちの大胆さと威厳と勇気に感動しました。あなたたちがクリミアの運命を決めたのです。この数日間、私たちはこれまでにないほど身近になり、お互いを支え合いました。あれは真の連帯の気持ちでした。あのような決定的な歴史的瞬間にこそ、民族の成熟度と精神力が試されるのです。ロシア国民はすばらしい成熟度とすばらしい力を発揮し、団結して同胞を支えました。

ロシアの外交における強気は数百万人の人々の意思、民族全体の団結、主要な政治・社会勢力からの支持に立脚していました。皆さんのその愛国心に感謝します。例外なくすべての人に感謝します。しかし、ロシアの前に立ちはだかる課題を解決するため、今後もこの団結力を維持することが私たちには重要です。

私たちは明らかに外国の反発に遭遇することになります。しかし、私たちは自分のために決めなくてはなりません。首尾一貫して国益を守り続ける用意があるのか、それとも、永遠に国益を諦め続け、どこまでも後ろに下がり続けるのか。西側の政治家の中には、制裁だけではなく、国内問題の先鋭化の可能性を語って私たちを怖がらせている人もいます。彼らが何のことを言っているのか知りたいものです。第5列員なるもの―様々な国家反逆者―の活動のことでしょうか、あるいはロシアの社会経済情勢を悪化させることで人々の不満を誘発することができると考えているのでしょうか。このような発言は無責任で明らかに攻撃的なものであると見なし、しかるべき方法で対処していきます。しかし、私たち自身は東側でも西側でも、決してパートナーとの対立を目指すことはせず、現代世界の決まり通り、先進的な善隣関係を築くために全力を尽くしていきます。

尊敬する同僚たち!

住民投票で、クリミアはウクライナに残るのか、ロシアに入るのかという、きわめて率直ではっきりした質問を設定したクリミア住民の気持ちがよく分かります。そして、確信を持って言うことができます。クリミアとセバストポリの指導部や立法機関の議員は住民投票の質問を作るにあたって、派閥や政治的利益を超越し、人々の根源的利益だけを指針として、それだけを最重要視したのです。これ以外の住民投票であったなら、それが一見したところいかに魅力的に映ったとしても、この領土の歴史的、人口構成的、政治的、経済的特性のために中庸で一時的で揺らぎやすいものになっていたでしょうし、間違いなくクリミア情勢のさらなる悪化へつながったでしょうし、最悪の形で人々の生活に反映していたことでしょう。クリミア住民は厳しく、妥協のない、一切の中途半端さのない質問を設定しました。住民投票はオープンに誠実に行われ、クリミアの人々ははっきりと説得力を持って自分の意思を表明しました。彼らはロシアに入ることを望んでいるのです。

ロシアもまた、国内外のファクター全体を考慮して、困難な決定をしなければなりません。今のロシアの人々の意見はどうなのでしょう。ここでは、他のあらゆる民主主義社会と同じように、様々な視点があるでしょう。しかし、絶対的な、―強調しておきますが―、絶対的多数の国民の考え方は、こちらも一目瞭然です。

つい先日ロシアで実施された最新の世論調査をご存じでしょう。95%もの国民が、ロシアはクリミアに住むロシア人とその他の民族の利益を保護すべきであると考えています。95%です!83%以上が、たとえそのような態度が他国との関係を複雑化させるとしても、ロシアはこれを実施すべきだと考えています。国民の86%がクリミアは今に至るまでもロシアの領土であり、ロシアの土地であると確信しています。そして、とても重要な数字で、クリミアの住民投票のものと完全に相関しているのですが、ほぼ92%がクリミアのロシア編入に賛成しています。

このように、クリミア住民の大多数も、ロシア国民の絶対的多数も、クリミア共和国とセバストポリ市のロシア連邦への復帰を支持しています。

残すはロシアの政治的決定です。これは国民の意思に基づくことしかできません。なぜなら、いかなる政権であってもその源となるのは国民だけだからです。

尊敬する上院議員!尊敬する下院議員!ロシア国民とクリミアとセバストポリ市の住民たち!クリミアで行われた住民投票の結果に基づき、国民の意思に立脚して、本日、ロシア連邦議会に、ロシアに2つの新たな連邦構成主体、クリミア共和国とセバストポリ市を受け入れる合憲的な法案を提出し、審議を要請すると共に、クリミア共和国とセバストポリ市のロシア連邦への編入に関する署名の準備が整えた条約の批准を要請します。皆さんの支持を迷わず確信しています!
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出典:在日ロシア大使館
大使館からのお知らせ 2014年3月25日