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Rex's Blues - Jolie Holland


(対訳) 


遠くから 気まぐれな あのブルーな風にのって
彼女はお前を苦悩へと 引きずりおろす
お前は置き去りにされる 時の過ぎるがまま
一人孤独に 堕ちるがままとなって

もし 5セントあれば 賭けを探すだろう
もし 1ドル勝ったら 放り投げるだろう
もし 海へと雨が降れば この渇きのため飲むのだろう
この満たされなさに 身を投げ出して

この足は歩きながら 飛ぶことを想った
眼は笑うことを 口唇は泣くことを
落ち着きのないこの舌は 隠すということを
全てが生まれるのは 成長するため
そして成長するのは 死ぬためだ

だから愛しい君に 長い時間をかけて伝えよう
母には 僕は間違っていなかったと
兄弟には 自分自身をよく知るのだと
そして友達には 僕のため悲しむことはないのだと

目の前のリズムの枷につながれて
ばかげた韻ばかりで いっぱいになった
けれど ただの暗闇なんかじゃなく
何かが輝く前なんだ
僕は この夜が明けていく どこか途中にいる

遠くから 気まぐれな あのブルーな風にのって
彼女はお前を苦悩へと 引きずりおろす
お前は置き去りにされる 時の過ぎるがまま
一人孤独に 堕ちるがままとなって

 

Pint of Blood

Pint of Blood

 

 

歌詞解釈③:遠雷 - ましまろ

遠雷

ましまろ
作詞/曲:真島昌利

わだかまる雲 ひっぱるネオン
半開きの窓

南へ走る 列車の音が
風に途切れてる

ふらり ふらふら
考えている
考えてもない
眠くない

錆付く鉄の 橋の下には
カラスの休日

海賊たちの 遥かな歌を
思い出している

ふらり ふらふら
考えている
考えてもない
眠くない

遠くの空で 雷の音

いらないものに
いるもの混じり 
はっきりとしない

はっきりしない
いつでもそんな
はっきりとしない

ふらり ふらふら
考えている
考えてもない
眠くない

遠くの空で 雷の音

 

*わだかまる雲 ひっぱるネオン
 半開きの窓

雲と雲の間の放電、下へ枝を伸ばす稲光、半開きの窓が伝えるその遠景。「遠雷」を分解した描写。

* 南へ走る 列車の音が
  風に途切れてる

雷(列車)が、下界(南)へ落ちることとリンクする。その外の世界の遠雷を、頭の中へと反転させると、それが「風に途切れてる」とは、知識や情報に埋もれたどこか遠く奥の方で聞こえた、一瞬の天啓のようでもある。それは遠雷みたいに、一瞬だけ煌いて消えた。

* ふらり ふらふら
  考えている
  考えてもない
  眠くない

一瞬だけ見えてしまったものが、心を揺らす。考えるが、考えて分かるものでもないとも、どこかで分かっている。けれど目が冴えてしまった。

* 錆付く鉄の 橋の下には
  カラスの休日

「越境」の回路は錆び付いてしまったけれど、それでも確かにそこには在る。カラスは不吉とも賢いとも言われ、何か謎を握っているような存在。それが橋のたもとで休んでいる。謎を抱えたカラスが、いつか橋の向こうへ飛び立つ日、つまりそれが謎の解ける日だとしたら。今、橋の下に留まるカラスは、まだ解けない謎を暗示するかのよう。

* 海賊たちの 遥かな歌を
   思い出している

海は無意識。ついこないだ、 フロイトgoogleのロゴになっていたように。海上で暮らす海賊にとって、陸の姿を見ることは「発見」。無意識を「ふらり ふらふら」横断しながら、いくつもの発見・越境をした海賊に思いを馳せる。彼らが見た、天啓のいくつものつづきを。「揺れ」つづけ、先の見えない不安が日常であった海賊たち自身を、なだめすかしていた歌を、聞いてみたいと耳を澄ます。橋のそばで。

* いらないものに
   いるもの混じり 
   はっきりとしない

   はっきりしない
   いつでもそんな 
   はっきりとしない

   ふらり ふらふら
   考えている
   考えてもない
   眠くない

   遠くの空で 雷の音

海面の下でうごめくは、ありとあらゆるもの。いま気持ちを揺らすもの、忘れ去られたもの、忘れ去ったつもりが今また思い起こされるもの、忘れられないもの。それらを一瞬だけ照らした、稲光。一瞬何かの筋道が分かりかけ、すぐまた暗闇に引き戻された。そのせいで眠れなくなってしまったのだ。今はまた夜の海の上、ひとり取り残されて。

 

遠雷

遠雷

 

 

歌詞の解釈②:したたるさよなら - ましまろ

したたるさよなら

ましまろ
作詞/曲:真島昌利

なまめく 虎の縞模様
夕陽の首が 折れている

19世紀の絵の中の海へ

思い出 冬の体育館
シャッター 逆光のままで

吐く息白い 冷たいやさしさ

したたる さよなら
したたる さよなら

なまめく 虎の縞模様
夕陽の首が 折れている

19世紀の絵の中の海へ

したたる さよなら
したたる さよなら

例によって、「正解」になれなくても、書ける何かを書く。

歌い出しから、サビ「したたる さよなら」の瞬間まで、時間を巻き戻しながら近付いていく。「なまめく~絵の中の海へ」までは、時系列としては「さよなら」のあと、したたり落ちた「さよなら」が染み出し、描き出す風景を眺めている。

1曲目のライオンといい、この虎といい、タロットの『力』を連想した。この猛獣らに「なまめく」や、1曲目の「飛沫」「風」などの形容詞がつくと、雄々しさにどこか色気や瑞々しさも加わる。扱いの難しい大きな『力』の象徴であるライオンや虎自体に、優しさや神性(自然の理)が備わっていて、タロットの中のあのライオンを手なづける女性も、獣の中にすでに存在しているかのよう。

さよならがしたたる、とは別れの予感、だろうか。「したたる」=わずかな水が静かにつたって落ち、じきに染み込むように、この別れの予感を理解する・受け入れる、ということか。「吐く息白い 冷たいやさしさ」がそれを感じ取った瞬間。この「さよなら」と、それまでの思い出と、どうにも座りが悪く(夕陽の首が折れている)、生々しくもどこか絵空事のようでもある(19世紀の絵)。

1曲目とつながっているのだとしたら、「19世紀の絵の中の海へ」は、海へ行った思い出が、まるで前世のように遙か昔に思えるのかもしれない。「夕陽の首が折れている」は、水平線の下に映る夕陽を思わせる。実際の太陽と、海面(=記憶、無意識)に映る太陽とのずれ。別れの予感を感じ取った今の私と、思い出の中の私とのずれ。

夕暮は昼から夜への移り変わりであり、刻々と時が過ぎ行くということ、その過去と現在が入り混じるのを、分かりやすく可視化できる時間でもある。それの「首が 折れている」とは、頭と心が分断してしまっているのだろう。頭では別れを理解していても、気持ちはついていけない。去り行くものを静かに見送りながら、けれど、それは痛いほどぎくしゃくしている。

「なまめく 虎の縞模様」は、パーフェクトな思い出。虎の縞には脂が乗っている感じ。そのあと雄々しい虎は神様みたいに太陽となり、日が傾いて海面に映るその虚像と現れた時、それは首が折れている。そして数世紀も昔の海の中へ、その太陽の輝きと熱は、ただもう沈んでいってしまうのだ。

 

ましまろ [Analog]

ましまろ [Analog]

 

 

歌詞の解釈①:体温 - ましまろ

 

体温

ましまろ
作詞/曲:真島昌利

いいにおいがする 懐かしい匂い
コマ送りのまま 砕け散る波に
真冬の海で おぼれる 金属の夢

自転車に乗って 君と二人乗り
枯れた木の肌に 染みる昼下がり
坂道下るスピード 凍るドーナツ

かじかむ言葉を 擦り合わせて
柵の向こう側 その先に進む
飛沫と風のライオン 君の体温

ゆれて ゆれて にじんで
それは確かなものだ

とうに 朽ち果てて 砂に沈む船
赤いマフラーのため息 君の体温

ラララ・・・


■「いい匂い」「金属の夢」の謎

〈1段目〉
いいにおいがする 懐かしい匂い
コマ送りのまま 砕け散る波に
真冬の海で おぼれる 金属の夢

この「いい匂い」は何の匂いなのか。曲名の「体温」の匂いか、 もしくは次に出てくるドーナツだろうか。いずれにせよ、この思い出と連動する匂いなのだろう。

「金属」は海に投げ捨てた指輪?とも思ったが、その後に「とうに 朽ち果てて 砂に沈む船」とくるので、おそらくこの船のことだろう。「自転車に乗って 君と二人乗り」「 凍るドーナツ」(長いこと自転車に乗ってる、またはかなりスピードを出している)など、大人の恋ではなさそうだから、指輪というのは不自然だ。

この並びの中で「金属」という響きが、やけに重く鋭い。 金属はその重さのため海底に沈みこみ、そこにいつまでも残ってしまう。金(gold)≠金属とすると、黄金にはなり得ず、冷たい記憶の海に沈んでしまった夢(どこか錬金術のよう)。そんなふうに胸につっかえているもの。けれど、その夢(船)を開くと、今も 「いい匂い」がするのかもしれない。

■「船」の存在

「コマ送りのまま 砕け散る波に」は、記憶がおぼろげなので、コマ送りのように感じるのだろう。「コマ送りのまま」とある「波」は、薄れている記憶=実際の記憶であるように思え、続いてありありと描かれる「真冬の海で おぼれる 金属の夢」は、そこから空想へと移っているように見える。「船」は、この歌の思い出そのものの象徴であり、それ(思い出)は、いつか見た海の底へ沈んでしまっている。

歌の中でこの「船」は、どこかゆらめく石碑のように立つ。思い出そのものを表しながら、その思い出の隣にゆらゆら佇んでいる。この記憶から生まれ出た「船」は、過去/今、描写/比喩、ノンフィクション/フィクションの、扉の向こうに立ち、それらをつなぐ点となっている。そしてそれは、その扉の前に立つ「懐かしい匂い」の記憶と、同じぐらいの存在感を放つ。

■冬の空気

全編を通して、冬の情景の合間に「懐かしい匂い」「昼下がり」「体温」「赤いマフラー」と、温かさを感じさせる名詞が差し挟まれている。2段目は、まさに冬の思い出。ここは比喩はあっても、象徴や思いではなく、場面の描写になっている。ドーナツは実際には凍っていないかもしれないけど。全編何もかもが、これでもかというぐらい、とても寒そうである。「坂道下るスピード」というのが、若い恋を駆け抜けた感じ。その瑞々しさや繊細なもの悲しさが、冬の澄んだ空気と似ていて、よく馴染んでいる。

■2段目と3段目の対称性

3段目は、特に素晴らしいと思う。寒さの(かじかむ)中で、交わし(擦り合わせ)た言葉が、「飛沫と風のライオン」になって、お互いがお互いという柵を越えた。ライオンが触れたのは、君の熱、君が生きているということ。柵は仕切りであり、皮膚としてもいいかもしれない。(私が私であり、私としての仕切り・境界があるからこそ、あなたに触れることが出来る)。

その意味で、この「柵の向こう側 その先に進む」は、前の段落の同じライン「枯れた木の肌に 染みる昼下がり」とリンクしているのがすごい。というかこの3行とも、2段目から3段目へより「君」へと近付いた視界へ移行した上で、ほぼ相似形のようなことを伝えている。

〈2段目〉
自転車に乗って 君と二人乗り
枯れた木の肌に 染みる昼下がり
坂道下るスピード 凍るドーナツ

〈3段目〉
かじかむ言葉を 擦り合わせて
柵の向こう側 その先に進む
飛沫と風のライオン 君の体温

そして1段目、末尾「真冬の海で おぼれる 金属の夢」 (冷)から、 2段目「凍るドーナツ」(冷)と、冷たいイメージが続いたところで、3段目「君の体温」(温)にたどり着き、そこで歌はマイナー (冷) からメジャー (温) へと転調し、サビへと溶け出していく。

■「飛沫と風のライオン」

「飛沫」とあるのは、真冬の海岸を自転車で走っているからか。飛沫は海や雨など、大きなおおもとがあって生まれるもの。飛沫と呼ばれる領域は、その大きなものと何らかの動き(=エネルギー、生きていること)が触れた部分で、ここでの“動き”(生)は自身のこぐ自転車。「風」はその速度、性急さ。それらが合わさった生き物のようなものを、「ライオン」と名付けた。飛沫が風に飛ぶ様子が、たてがみのように見えたのかもしれない。寒さ・冷たさを想起させる言葉が並ぶあとに「君の体温」とつづき、それが最後の1ピースのようにぴたりとはまっている。それはこの真冬の寒さの中で、ずっとほしかったものだからだ。

■全体の「ゆれ」・「にじみ」

〈4段目〉
ゆれて ゆれて にじんで
それは確かなものだ

〈5段目〉
とうに 朽ち果てて 砂に沈む船
赤いマフラーのため息 君の体温

「ゆれ」は「船」、「にじみ」は「海」を連想させる。君と僕がゆれて、にじんだのは確かだった。この、まどろむようなサビのあとに、「砂に沈む船」という、もう“ 死 ”に絶えてしまったものが現れる。それと対比的な「赤」「君の体温」という鮮烈な“ 生 ”のイメージへ、視点は再び引き戻されて、この歌は終わる。今となっては、この思い出そのものが沈んだ船なのだが、最後の生き生きとした一行の切り返しが妙に鮮やかだ。「赤」色の、尾を引くような余韻が、目に浮かぶ。沈む船(薄れていく記憶)からはみ出す、あふれる生命感。それが吹き抜けるかのように、あの頃と今をつなぎ、その「風」は僕の中に今も生きている。

記憶の中へと入る前に記憶の外から眺めた歌い出し、「船」などの象徴・空想の部分(記憶の外にあるようにも、中にあるようにも見える)、記憶の中=君といた時間の描写と比喩。それらが絶妙なグラデーションのように混じり合いながらも、やわらかく切り替わり、簡潔ながら映画のような構成になっている。全体的にやわらかに「ゆれて」「にじんで」いるのだが、しっかりと構成もある、という。

自分なりに読み込んでいって、なかなかに浅い解釈ながら、それでも改めてすごい歌詞だなと唸ってしまった。

 

ましまろ

ましまろ

 

 

『自選自解 大野林火句集』

昨晩寝る前に読んでいたら、涙が止まらなくなってしまった。俳句すごい。以下そのまま引用。
 



*冬の夜や頭にありありと深海魚

 燈火管制下に得た。黒布はつねに電燈を蔽うように用意され、警戒警報のサイレンとともに黒布をさげて電燈を蔽った。電燈のあかりを少しでも外に漏らさぬためである。空襲警報ともなればその燈も消した。こうした防空訓練は早くからさせられたが、このころはもう訓練ではなかった。
 それでも私どもは集まって句会をした。勿論数人にすぎぬが結構たのしかった。目迫秩父は勿論、古沢太穂氏なども加わった。国民服というカーキー色の詰襟、それに巻脚絆、鉄かぶというのが当時の服装である。
 燈火管制下は深海のごとくひっそりする。冬の夜は殊にそうだった。そんなことがこうした幻想を呼んだのである。現実には警戒警報下の緊張のもとに身を置きながら、頭は別のところに遊ぶ。こうしたちぐはぐの中に句が生まれることは度々ある。この句など契機の明らかな方で、私は天の賜りものとして大事にしている。このとき深海魚はたしかにありありと脳裡を遊弋した。
(昭和十九年頃)


*樹の穴をあきかぜの蟻出入りす

 どこで作ったか覚えていない。家の近くを大岡川が流れており、川べりは桜が植わっていて春はなかなか趣があった。そこはまた私がどこへ行くにも通るところであった。
 この桜、終戦前後には丸坊主にされた樹が数多く、無残な姿をわれわれに示した。枝をおろして薪にしたためである。桜はさして燃料に適さぬだろうに、そんなことはおかまいなく焚けるものは焚くといったことのためである。そうした一本の木の洞がこの句を生んだのであろう。
 この句には寂寥感がつよい。樹の洞を出入りする蟻の営みは無心だが、見ている作者は沈欝である。作者を吹く秋風もくらい。戦局の真相を知らされぬまま、世相はますます緊迫、われわれはただその推移に押し流されてその日その日を送るだけであった。学校の授業にも落ち着きがなかった。学徒動員もすでに始まり、私も学校と工場を交互に駆け廻った。蟻の無心が羨ましかったのであろう。
(昭和十九年頃)

 

【ハ゛ーケ゛ンフ゛ック】大野林火句集-自選自解・現代の俳句2

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