ohinanikki

音楽・本について、色々。

“Dearly Departed”の謎

重箱の隅を冷えた目線で断罪するより、始まりは虫の目線であっても積み重ねて積み重ねて、その全体の大きさと調和に畏怖していたい。このご時世、矮小化は何よりも易しく早い。魔法は魔法のままであってほしく、あっという間に解けてしまうのではなく、何なら頭から突っ込んでいくから、もっと強力にかかってほしい。吹けば飛ぶとかじゃなく。ここ1・2年内々での話ながら、ロバート秋山について12,000字程度のレポート書いて講演したり、友人の心理分析のようなものをしたり(どちらも頼まれて)、その間に読んだものだったりで、改めてそういう気持ちが強くなった。でも、そうすると保留にすることが増えて、書くことがどんどん長くなる、ということでもあるのだけど・・・




Spotify Session with Shakey Graves

歌詞

Shakey Graves “Dearly Departed”という曲をカバーしたく、今度共演の方にお願いしたら了承をもらった。尊敬する音楽を自分なんかがあんまり無邪気に無自覚に歌うのもどうかと思い、まず設計図のようなものを書きたいと思った。

そもそもこの曲のどこが引っ掛かり、どんなところに惹かれ、どう受け止めているか。

本人が歌う映像を見て印象的なのは、曲調自体はこの人の持ち歌の中でも1番ぐらいに明るい弾けた曲なのに、Shakey Graves自身はむしろ痛切な表情と歌い方をしているということ。どの曲でもそうかというと、そうでもなさそうなのである。この曲のことを、ちょっとエロとホラーの入ったコミカルなブラックジョーク、それだけとは作者本人は捉えていないようなのだ。ジョークとしなければ、かなりどうしようもない風景とも言えるのだけど、どうしようもないことが歌われた歌と言えばカントリーやブルースで、これは彼にとってルーツであるカントリーやブルースそのものなのかもしれない。そしてそれは、どうしようもないからこそ、ロマンチックともいえる。そのことを語り部として淡々と語るのではなく、物語の内側で生きている血の通った誰かとして歌う、そこにこの人の歌の魅力があるように思う。気象予報士ではなく、台風の目。

もちろんコミカルでファンタジックな面もあって、だからこそ、Esme Pattersonのキュートでコケティッシュな声が選ばれたのだと思う。彼女は話してる声に近い「天然」の歌声なのだけど、伸びやかでとても上手でもある。この曲も入ったアルバム『& the war come』では、Esmeが3曲ほど参加していて、最終曲でも共演している。彼女自身フォークロックバンドの一員であったことや、SSWであり作曲も出来ること(Dearly Departedは共作)も理由としてあるのかもしれないが、何より彼女の歌声をかなり気に入っている、というのは間違いないだろう。

そもそも、Shakey Graves自身の声質は、色々な歌い方ができる・デビューから今まで変化してきたことを合わせても、基本的にナイーブでシリアスなトーンだ。繊細で極端な感情を行き来し、時にヘヴィで時に儚げであるが、どちらにしてもその情感が突き刺さるような声質。対してEsmeの場合は淀みなく安定していて、マイペースに天性の声でそのまま発声するタイプ。少し舌足らずではあるが、いわゆるオールディーズのポップス歌手のような声。Dusty Springfieldなんかを歌ってもサマになりそうだし、Ricke Lee Jonesがもう少しかっちりめに歌ってるような感じ。

“Dearly Departed”という曲のコミカルさに、つまり死や性という重苦しさ・どうしようもならなさを、笑い飛ばしてしまおうとする時に、彼女の屈託のない軽やかな声が必要だったのだと思う。彼女が歌うことで、悲惨な光景の筆致が人生賛歌ともなりうるような、肯定感が生まれてくる。死や愛や性(ひいては生きるということ)の重苦しさに反発したり、なかったものにしたりするのでなく、それらを受け止めて日常に馴染ませてくれるような、風通しの良さ・明るさ。

Shakey Graves自身は音楽的には、基本的にシリアスか、もしくはそう聴こえてしまう人だと思う。難解な歌詞も多く、選びとる言葉自体ひりひりしたものが多い。MCなどでは冗談ばっかり言ってるみたいなのだけれど。Jeff BuckleyやJulie Doironもそうだった。心が大きくて、悲喜こもごも的確に言葉にできて、正直。何が的確で、何が混じり気のない状態か知っているから、嘘が言えない、要らない。


Shakey Graves "Dearly Departed" (OFFICIAL VIDEO)

作曲者として、この曲でEsmeが担っている一面を、歌詞だけでなく音色の上でも欲しかったのだろう。つまり破壊衝動や死への接近も日常の一部で、それらを飲み込んで日々は続いていくということ。それを虚無ではなく、生きることへのあっけらかんとした、大らかな信頼のようなものとして。歌詞に沿っていえば、背景として、片方が死んでしまうほどの深刻な愛情や、世の中のルールから逸脱した情景がまずある。その中で、Shakey(の側、配役として)は愛や死を割と深刻に受け止めているのだけど、Esmeはむしろその逸脱をパーティーとして楽しんでいるような感じ。同じ場面を共有している恋人たちのハイ&ロウ。幅(=別の視点)を持たせるため、自分自身との鮮やかなコントラストが必要であった作曲者のShakeyにとって、Esmeは自分にないものをぎゅっと集めて作られたような存在なのだろう。

そう、虚無ではないといえるのは、直接的な書き方は出てこないが、前提としてめちゃくちゃ愛し合ってる二人という設定だからだ。しかも故意でなく死んでしまったようなので、世を儚んでいた訳でもない。生きている間に生を死の淵ぎりぎりまで感じてみたかった、という歌だと思う。それらが前提でないと、この歌自体が生まれ得ないし、その後の展開も続かない。

そういえば「彼の声は電話帳を歌っていても感動的」といったような、エディット・ピアフが言われていたような、youtubeのコメントもあった。ファンの中ではソロの方がいいという人もいるし、もちろんEsmeの素晴らしさを讃える人も多い。実際めちゃめちゃ歌上手いし。

私個人としては、彼女の愛くるしい声は素晴らしいと思うし、二人で歌ってる時のバランスも絶妙だと思う。なんだけれども、彼女の歌は単体だと音色の心地良さにちょっと寄りすぎるかな、とも思う。感情の表現よりも感覚の気持ち良さを選んでいるというか。Shakey Gravesは、音色の美しさ/心地良さよりも(もちろんその感覚も相当に鋭いと思うけど)、情熱や内面の激しさを優先する。一般的に重い・熱いというのは、まあそういうことだろう。もしくは情緒が声に出やすい。まあ程度問題・時と場合によるものでもあるし、一概にどっちがいいとも言えないのだけれど。

で、さあどうする?というところなのだけど、中間色・・・かな・・・と思う。ここまで長々書いてきてアレな答えだけど。というか、中間色の解像度・鮮明さを上げる感じ。どうなれば上がったことになるかは、やはり歌の流れに沿えた時だと思う。

歌詞の流れを時系列でいうと、ラストが歌い出しの次の場面になる。歌い出しから、そこに至るまでを振り返って検証していき、ラストという「次」へ向かう。正確にいうと、物語のラストへと向けた「決意」をして、この歌は終わる。なぜそう決意したか?というところに軸を合わせて、丹念に情感を拾っていけたら。あとデュエットなんだけど、多分曲の構成上、男女入れ替わっている(と思われる)ヶ所があり、その辺も含めて。

しっかりポップスの構成なのに、危険な匂いと強い純粋さが入り混じり、危うさの中で祝祭的にゆらゆら揺れて、それらがグルーヴとやらになっている・・・そういう意味でAmy Winehouseが歌っていた“Valerie”を思い出した。余談だけど、何だかんだ自分はAmyの影を追っているんだな、とも思ったり。まあこの“Dearly Departed”にもある通り、死者は強し、ということで。


Amy Winehouse - Valerie - Live HD

Shakey Graves - To Cure What Ails


Shakey Graves: NPR Music Tiny Desk Concert

そう 俺は 新しい目的地を目指した
ああ 新しい考え方、新しい状況だとか
けれど それは どこへと向かっているのか
子供の頃に 居場所を見つけるのは
むずかしいものだ

賢いギャングたちを知っている
俺たちは 森の中に砦を建てて
全ての女の子たちを罵り 唾を吐いた
世界中の誰からも 気にかけられずに
うん、あれもいい生き方だった

けれど 今は それから成長したつもり
大人になって 背も伸びて
裸足になることは もう なくなったみたいだ
けれど 嵐が過ぎ去れば
俺の足は どこへ行くべきか 知っている
全ての道が あなたへと 導いているから

俺は 少し痩せたように思うけど
あなたが 俺の燕尾服に乗っかった
その美しさの前に
今また 全てを差し出し
あなたの肌の上を散策する
どこか悪いところを 癒せるように

そして 俺の席からは ヤシの木が見える
でも 本当にどこへも 行きたいとは思わない
けれど それはどの道でも 何も変わることはない
なぜなら 全ての道が あなたへと つながっているから

いつも あなたを楽しませようとしてる
そのために 眠りもせずに
愛がやって来る時は 簡単そうに見える
けれど そう見えるのは
じきに過ぎていく 最初の時だけ

そう 俺が死ぬ時は もしかしたら
幸せな吟遊詩人なのだろうか
もしくは ただ 昔日の影なのか
自分のしてきたことを もう許してやった
嘆いているより ずっと楽しいよ
罪悪感なんて 身体に良くないもの

そして 俺の席からは ヤシの木が見える
でも 本当にどこへも 行きたいとは思わない
けれど どの道を選んでも 何も変わることはない
なぜなら 全ての道が あなたへと つながっているから

そう あなたよ 人生を通じて
俺は 何をすべきか知っている
なぜなら 全ての道が
俺を あなたへと 連れて行ってくれるから

Shakey Graves - Bully's Lament


Shakey Graves - Bully's Lament - Audiotree Live

そうだな、痩せぎすのレニーは
落とし物置き場にいるには 背が高すぎる
街の留置所に閉じ込めるには でかすぎる
ああ 彼はこれから 何をするだろう

そう 俺たち 自由に楽しむため 何をするだろう
この道は広く広く どこまでも続くように
見えている そういつも
ドライブはとても好きだけれど
今や車線から 俺は外れている

あてどもないなら どうやって自分の足で立つのだろう
そう けれど どういう訳だか すでにそうしている
空に触れることが 少しだけ簡単そうに見える

何かが あなたに近づいている
何かが 俺に近づいている
あなたに見えるだろうか

No yeah no no no no
俺たちは 他の人たちとはちがう
多分 本当に
No yeah no no no no no
俺たちは 他の人たちとはちがう
俺たちに できなかった
俺たちのしたかったことは

そう、貧しく だらけたローレンは
ドアの外へ出るには 小さすぎる
彼女は近所の人たちにとって うるさすぎる
そして、彼女は雑用のため 鈍くなる
ああ 彼女はこれから 何をするだろう

そう 私たち 自由に楽しむため 何をするだろう
この道は広く広く どこまでも続くように
見えている そういつも
ドライブはとても好きだけれど
今や車線から 私は外れている

あてどもないなら どうやって自分の足で立つのだろう
そう けれど どういう訳だか すでにそうしている
ここから何も見えないなら どうやって探し出すのだろう
ああ あなたと私

No yeah no no no no
私たちは 他の人たちとはちがう
多分 本当に
No yeah no no no no no
私たちは 他の人たちとはちがう
私たちに できなかった
私たちのしたかったことは

俳句

■あらくれ句会 第六回 20150429
 〈8-8-8 実験句会〉

・汗ばんで驟雨 夏まで数える まだらの水たち

・杜若 その名で記憶掻き立てる


■あらくれ句会 第八回 20150821

・鎌倉に放たれる凧 鷹の下

・空き家にて露草の瞼 ひらかれる

・橋わたる 自転車に似る蜻蛉たち


■あらくれ句会 第八回 20160115

扁桃腺 切られて夢に氷湖の蛸

・暖冬に 無理を重ねて鍵氷る


■あらくれ句会 第十回 20160219

・梅の紅 冬に馴染めず 液垂れす

・薄氷の鳴り止まぬ音 夢醒めて

・やがて謎 解けて氷海かさを増す


■あらくれ句会 第十一回 20160318

・ことづては 言い替えられて脈を打つ

・ただ母と川添い歩く 帰京の朝

・遠近を縮めてしまう 筆のふるえ


■あらくれ句会 第十二回 20160415

・風もつれ すり抜けきれぬ平行線

・初虹の手触り思う 薄らぐ雲に

・月閉じて 反転の境もらう鍵

・蜂の巣が 端からほどけ 忘れ出す


■びわ句会 20160430

・梅雨蛙 前世と記憶 半分こ

・初虹の手触り見えた 雲薄らいで

・沁みる歯に ミント過ぎ行く誕生日


■あらくれ句会 第十二回 20160507
〈8-8-8 実験句会 2nd〉

・辺りは江戸に 話者の汗のみ影をかたどり

・下駄描く円 空洞の淵 鈴と藤鳴る


*

連休中そうじしてたら、俳句のメモが出てきました。もう2年前になるのか、ライブで作詞をほめてくれた俳人さんが、会うたびに句会に誘って下さり、大人しそうな方ながら、それとなくでなく確実にはっきり何回も誘ってこられるので、あんまり断り続けるのも気まずいかと思い、参加したのでした・・・

今はあまりにも余裕がないのと、その俳人さん主催の句会が休止されているので、それ以来行けてませんが、最後に参加した日がちょうど掃除した日の1年前でした。早いもので。

ずぶもずぶの素人なので、こわごわ参加しましたが、言葉について真剣に考えている人たちの色々な意見が聞けて、目が開くような思いでした。今まで一人でつづけていた「書く」ということについて、面と向かっていま生きている人から生きた言葉で聞けるというのはすごく新鮮で楽しかった。

書いた句について「耳がいい」と言って下さった方がいて、実際にいいのか分かりませんが、そういえば音の好き嫌いが若い頃は特に激しくて、外に出るのも一苦労でした。書いたもの・選んだ言葉でそんなことも分かるのかと、驚いたのを覚えています。

という訳で、記念に?その頃に書いた俳句まとめました。ここから広げて歌詞になったものもいくつか。「十一月の歌」「薄灯るトンネル」とか。

少しだけ龍

11:55 -
Come Softly to Me

*

私は少しだけ龍だった。30代半ばから、ちょん切れたような尻尾が少し生えて、その付け根や背中に緑のうろこが少しあった。その頃の友達の1人にだけ、少し龍の部分があることを話していた。それからしばらくして、私は死んだ。横向けに倒れた時、全部が龍になった。尻尾は先っちょの終わりまで生えて、全身が緑のうろこになって、ぐっすりと眠るように死んだ。

そんなことが書いてある本と、友達の驚いた顔とを、龍になった私が雲の上から覗いていた。

20160806 昼、うたた寝

*

【夢解釈】

最近、大瀧詠一さんの音楽ばかりつづけて聴いているからだろう。「瀧」の字にはドラゴンが居て、かっこいい。この夢の前に川のある夢も見た。川は、サンズイのことだったのか。漢字が無意識にまで届くほど、焼き付いている。名は体を表すとしたら、私にとってはナイアガラというより、水をまとったドラゴンを表しているように思う、あの歌声は。水越しに見える、神話の中の生き物。


*

十代の頃にバイトしていた旅館で、オールディーズのコンピCDがあり、その中でとても好きな曲があったが、曲名を忘れてしまっていた。ただメロディだけ覚えていて、たまに鼻歌で歌っていた。昨日youtubeを見ていたら、なんとその曲を大瀧詠一さんが歌っていて、息が止まるほど驚いた。しかも原曲より上手くて美しくて、さらに驚く。何かに化かされたような気分で、あまりに驚いたのを上手く消化できてなくて、それで今日、龍に化けてしまう夢を見たのだろう。