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音楽・本について、色々。

ピアノ探訪④

旧グッゲンハイム邸にて、展示品であったプレイエル

2013年1月に神戸市塩屋「旧グッゲンハイム邸」にて、演奏させていただく機会があった。実はそのころも色々あって、かなり暗い気持ちで関西まで向かっていた。塩屋の駅から、小高い丘の上に立つ洋館が見えた。あれかと思い、工事中がつづく道路をいく度も回り道しながら、通路を探した。ようやく建物の入口が見えて、石段を一段一段昇るたびに、なぜか気分がみるみる晴れていくのが分かった。あれは本当に不思議だった。あの場所には、何かいい「気」とか磁場のようなものがあるのだろうか。庭へたどり着くころには、今日はいい日になるだろうと思っていた。

パリで戦前のピアノを修復している、日本人女性のHPがある。数年前に見つけてから、ちょくちょく見ていた。旅先のフランスで、その小さな工房の理念・姿勢に惹かれ、志願したらしい。その時代のピアノは木目や寄木細工、木彫り、燭台などの凝った装飾があしらわれ、とても綺麗。 Pianos Balleron

音はどんな響きがするのだろう、一度弾いてみたい・・・と思いつつ、日々の交通費にも事欠く身分、おパリなんてどだい無理、夢のまた夢だった。

ところがグ邸に出演が決まった時、何と同じ修復師の手がけたプレイエルが、ちょうどそこに展示されている時だったのだ。しかも常設のピアノを修理に出しているとかで、催しの演奏で使用していいとのこと。出演が決まったあと、ネットでその偶然を見つけて、一人悲鳴を上げるほど驚いたのを覚えている。

グ邸に展示されていたのは、PLEYEL 3bis 1905年製のもの。製造年はちがうが、このピアノ。



PLEYELはフランスのピアノ・メーカー。ショパンの愛用が、よくいわれている。以前ある雑誌の付録に、19世紀製プレイエルで演奏されたCDが付いていた。この時代のピアノは、まだピアノの先祖・フォルテピアノに近かったようだ。プレイエルは特に、他フランス・メーカーの中でも甘く可愛らしい音がする。

ショパンの時代は、サロンで演奏することが多かった。小さな室内でグランドピアノの周りを取り囲むようにして、みんなが聴く。ピアノの倍音は色々な方向へ飛んで行き、それぞれのもとへ届けられる。今のグランドピアノはコンサートホール用に設計されていて、いかに大きな音が出せるかが主眼となった。音は大きく、そして一方向、ステージから離れた客席だけを目指している。

私感だが、戦前のピアノは半分夢の中か、雲の上にいるような音がして、今の私の耳にはひどくやさしく聴こえてしまう。SP盤時代の歌手の声も、夢うつつに半分眠っているかのような雰囲気がある。曲や音楽というものは、とても大きなもの、ということを信じていて、そこに自身を委ねて身を任せているようで、不自然に過度に個性を出すようなことをしない。そんなふうに戦前のピアノも、演奏者や音楽に委ねているのかもしれない。

戦後のピアノは、そこに深い影を落としたかのように、悲痛さ・悲壮さが加わったように思う。私が個人的に感じる、その「悲痛さ・悲壮さ」ととる部分を嫌だとは思っていない。むしろ、惹かれる部分でもあり、私にとってピアノの音はそれとすでにセットになっている。戦後からさらにずっと後に生まれて、そもそもピアノはそういう音として知っているのだから。探している国産メーカーは、どれも戦後に作られたもの。そこに勝手な想像による、その時代のこの国の物語性を見てしまってもいるのかもしれない。だからこそ、実際に音そのものを聴いてみたくも思う。

グ邸のプレイエルは、心が洗われるようだった。小鳥のさえずりのような、澄んだ泉がこんこんと湧き出るような音。自分の曲やダークな曲は、ちょっと弾きたくなくなってしまうような音だ。でももちろん、そういう曲を練習したい。

部屋で自分のために弾くなら、音量はあまりいらない。ただ、いい音であってほしいと思う。どういう音を「いい」と自分が思うか、最終的にどういう部分を優先するかは、聴いてみないと分からない。まあ、2、3台まとめてぽんと買えたら、いいのでしょうけど・・・

ちなみにグ邸ではプレイエルの展示は終了し、もとの常設ピアノに戻っている。HPによると「DIAPASON HAMAMATSU 19044 No.170 (Ohashi Design No.24)」とあり、ピアノ探訪②でも書いた、大橋幡岩さん設計によるもの。これもまた今年の夏に弾ける機会があるので、今からとても楽しみにしている。