ohinanikki

音楽・本について、色々。

反映の境で、振り返る

ハロウィンみたいだし(会社、いたるところにお菓子がたくさん)、怪文書でも。

1
内も外も、くらげ。海月が、界面活性剤漬けの、肌を刺すような溶かすような水の中へ、身を投じる。その時はそれが良かれと思っていた。夜になるとその海の底へ潜り、ふるいにかけたあとのものを、微細なひだまで矯めつ眇めつ、眠りに落ちた。

2
「共感しなくていい」ということを教わる。同調ではない、議論・対話。そのことで見えてくる・掴めてくる私の輪郭。それはただ闇雲に悪くも、良くもない私。中立・客観的という白日の下。けど「白日」といえど天気は変わるし、もとより局地的。その白日の下で、過去現在未来・上下前後左右からバラバラに切り離された個々、情報・・・

それより、ここが薄暗いからこそ立ち現れた「斜めに射し込む光」に、心もとなくも魅かれた。

3
ごく最近聞いて、とても印象に残ったこと。「自分自身の内面・無意識との向き・付き合い方が、そのまま人間関係に反映される」。内(無意識)で放った(屠った)ものが、旋回して外から、こちら目がけてやって来る(狂犬とかゾンビとか)。内で手を放した分だけ、何度も。内なる未開の地に丁寧に向き合えば、外でもそれと同じように解(ほど)くことが出来る。ほしいものはもとよりこの中に、つまりそれは自分にしか見えていないもの。なので、掴めるのは内と外、どちらの世界にも一人ずつだけ。

余談めくけど、感情の発露は、いつもそれを「(その時点で)知らない」ということを伝える、のだとしたら。感情の強度だけで、その時点を押し切るのは「知る気がない」ということ。だから「そこ」(・底)に取り残される。

内と外で反転する世界。外が内の「反映」であるなら、この世界はバラバラの吹き溜まり、などではない。間断なくつながって、内と外は平行し変化する。

反転の境界(=私の輪郭)をこの前にゆっくり確認したことは、とても良かった。その境界がない状態(=海月)で過ごしたことも。かように遠回りだったから、はじまりに何もなかったから、見えることもあるのだと思う。

今までいろんな人や出来事から教わったことを振り返ってみると、理解できた順序に現れて(残って)、辻褄が合うようにつながっていくことに気付く。そう思うと私なぞが、いろんなものをもらった気がする。