ohinanikki

音楽・本について、色々。

『自選自解 大野林火句集』

昨晩寝る前に読んでいたら、涙が止まらなくなってしまった。俳句すごい。以下そのまま引用。
 



*冬の夜や頭にありありと深海魚

 燈火管制下に得た。黒布はつねに電燈を蔽うように用意され、警戒警報のサイレンとともに黒布をさげて電燈を蔽った。電燈のあかりを少しでも外に漏らさぬためである。空襲警報ともなればその燈も消した。こうした防空訓練は早くからさせられたが、このころはもう訓練ではなかった。
 それでも私どもは集まって句会をした。勿論数人にすぎぬが結構たのしかった。目迫秩父は勿論、古沢太穂氏なども加わった。国民服というカーキー色の詰襟、それに巻脚絆、鉄かぶというのが当時の服装である。
 燈火管制下は深海のごとくひっそりする。冬の夜は殊にそうだった。そんなことがこうした幻想を呼んだのである。現実には警戒警報下の緊張のもとに身を置きながら、頭は別のところに遊ぶ。こうしたちぐはぐの中に句が生まれることは度々ある。この句など契機の明らかな方で、私は天の賜りものとして大事にしている。このとき深海魚はたしかにありありと脳裡を遊弋した。
(昭和十九年頃)


*樹の穴をあきかぜの蟻出入りす

 どこで作ったか覚えていない。家の近くを大岡川が流れており、川べりは桜が植わっていて春はなかなか趣があった。そこはまた私がどこへ行くにも通るところであった。
 この桜、終戦前後には丸坊主にされた樹が数多く、無残な姿をわれわれに示した。枝をおろして薪にしたためである。桜はさして燃料に適さぬだろうに、そんなことはおかまいなく焚けるものは焚くといったことのためである。そうした一本の木の洞がこの句を生んだのであろう。
 この句には寂寥感がつよい。樹の洞を出入りする蟻の営みは無心だが、見ている作者は沈欝である。作者を吹く秋風もくらい。戦局の真相を知らされぬまま、世相はますます緊迫、われわれはただその推移に押し流されてその日その日を送るだけであった。学校の授業にも落ち着きがなかった。学徒動員もすでに始まり、私も学校と工場を交互に駆け廻った。蟻の無心が羨ましかったのであろう。
(昭和十九年頃)

 

【ハ゛ーケ゛ンフ゛ック】大野林火句集-自選自解・現代の俳句2

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