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歌詞の解釈①:体温 - ましまろ

お正月、先立つものもなく、歌詞の読解をしたくなった。作者の意図を汲んだり、大方の読みを読んだり、なんてことは自分には難しい。自分が引き出したい情報を探っていく。こんなようなことばかり考えていたせいか、初夢は未だに見ていない。

体温

ましまろ
作詞/曲:真島昌利

いいにおいがする 懐かしい匂い
コマ送りのまま 砕け散る波に
真冬の海で おぼれる 金属の夢

自転車に乗って 君と二人乗り
枯れた木の肌に 染みる昼下がり
坂道下るスピード 凍るドーナツ

かじかむ言葉を 擦り合わせて
柵の向こう側 その先に進む
飛沫と風のライオン 君の体温

ゆれて ゆれて にじんで
それは確かなものだ

とうに 朽ち果てて 砂に沈む船
赤いマフラーのため息 君の体温

ラララ・・・


■「いい匂い」「金属の夢」の謎

〈1段目〉
いいにおいがする 懐かしい匂い
コマ送りのまま 砕け散る波に
真冬の海で おぼれる 金属の夢

この「いい匂い」は何の匂いなのか。曲名の「体温」の匂いか、 もしくは次に出てくるドーナツだろうか。いずれにせよ、この思い出と連動する匂いなのだろう。

「金属」は海に投げ捨てた指輪?とも思ったが、その後に「とうに 朽ち果てて 砂に沈む船」とくるので、おそらくこの船のことだろう。「自転車に乗って 君と二人乗り」「 凍るドーナツ」(長いこと自転車に乗ってる、またはかなりスピードを出している)など、大人の恋ではなさそうだから、指輪というのは不自然だ。

この並びの中で「金属」という響きが、やけに重く鋭い。 金属はその重さのため海底に沈みこみ、そこにいつまでも残ってしまう。金(gold)≠金属とすると、黄金にはなり得ず、冷たい記憶の海に沈んでしまった夢(どこか錬金術のよう)。そんなふうに胸につっかえているもの。けれど、その夢(船)を開くと、今も 「いい匂い」がするのかもしれない。

■「船」の存在

「コマ送りのまま 砕け散る波に」は、記憶がおぼろげなので、コマ送りのように感じるのだろう。「コマ送りのまま」とある「波」は、薄れている記憶=実際の記憶であるように思え、続いてありありと描かれる「真冬の海で おぼれる 金属の夢」は、そこから空想へと移っているように見える。「船」は、この歌の思い出そのものの象徴であり、それ(思い出)は、いつか見た海の底へ沈んでしまっている。

歌の中でこの「船」は、どこかゆらめく石碑のように立つ。思い出そのものを表しながら、その思い出の隣にゆらゆら佇んでいる。この記憶から生まれ出た「船」は、過去/今、描写/比喩、ノンフィクション/フィクションの、扉の向こうに立ち、それらをつなぐ点となっている。そしてそれは、その扉の前に立つ「懐かしい匂い」の記憶と、同じぐらいの存在感を放つ。

■冬の空気

全編を通して、冬の情景の合間に「懐かしい匂い」「昼下がり」「体温」「赤いマフラー」と、温かさを感じさせる名詞が差し挟まれている。2段目は、まさに冬の思い出。ここは比喩はあっても、象徴や思いではなく、場面の描写になっている。ドーナツは実際には凍っていないかもしれないけど。全編何もかもが、これでもかというぐらい、とても寒そうである。「坂道下るスピード」というのが、若い恋を駆け抜けた感じ。その瑞々しさや繊細なもの悲しさが、冬の澄んだ空気と似ていて、よく馴染んでいる。

■2段目と3段目の対称性

3段目は、特に素晴らしいと思う。寒さの(かじかむ)中で、交わし(擦り合わせ)た言葉が、「飛沫と風のライオン」になって、お互いがお互いという柵を越えた。ライオンが触れたのは、君の熱、君が生きているということ。柵は仕切りであり、皮膚としてもいいかもしれない。(私が私であり、私としての仕切り・境界があるからこそ、あなたに触れることが出来る)。

その意味で、この「柵の向こう側 その先に進む」は、前の段落の同じライン「枯れた木の肌に 染みる昼下がり」とリンクしているのがすごい。というかこの3行とも、2段目から3段目へより「君」へと近付いた視界へ移行した上で、ほぼ相似形のようなことを伝えている。

〈2段目〉
自転車に乗って 君と二人乗り
枯れた木の肌に 染みる昼下がり
坂道下るスピード 凍るドーナツ

〈3段目〉
かじかむ言葉を 擦り合わせて
柵の向こう側 その先に進む
飛沫と風のライオン 君の体温

そして1段目、末尾「真冬の海で おぼれる 金属の夢」 (冷)から、 2段目「凍るドーナツ」(冷)と、冷たいイメージが続いたところで、3段目「君の体温」(温)にたどり着き、そこで歌はマイナー (冷) からメジャー (温) へと転調し、サビへと溶け出していく。

■「飛沫と風のライオン」

「飛沫」とあるのは、真冬の海岸を自転車で走っているからか。飛沫は海や雨など、大きなおおもとがあって生まれるもの。飛沫と呼ばれる領域は、その大きなものと何らかの動き(=エネルギー、生きていること)が触れた部分で、ここでの“動き”(生)は自身のこぐ自転車。「風」はその速度、性急さ。それらが合わさった生き物のようなものを、「ライオン」と名付けた。飛沫が風に飛ぶ様子が、たてがみのように見えたのかもしれない。寒さ・冷たさを想起させる言葉が並ぶあとに「君の体温」とつづき、それが最後の1ピースのようにぴたりとはまっている。それはこの真冬の寒さの中で、ずっとほしかったものだからだ。

■全体の「ゆれ」・「にじみ」

〈4段目〉
ゆれて ゆれて にじんで
それは確かなものだ

〈5段目〉
とうに 朽ち果てて 砂に沈む船
赤いマフラーのため息 君の体温

「ゆれ」は「船」、「にじみ」は「海」を連想させる。君と僕がゆれて、にじんだのは確かだった。この、まどろむようなサビのあとに、「砂に沈む船」という、もう“ 死 ”に絶えてしまったものが現れる。それと対比的な「赤」「君の体温」という鮮烈な“ 生 ”のイメージへ、視点は再び引き戻されて、この歌は終わる。今となっては、この思い出そのものが沈んだ船なのだが、最後の生き生きとした一行の切り返しが妙に鮮やかだ。「赤」色の、尾を引くような余韻が、目に浮かぶ。沈む船(薄れていく記憶)からはみ出す、あふれる生命感。それが吹き抜けるかのように、あの頃と今をつなぎ、その「風」は僕の中に今も生きている。

記憶の中へと入る前に記憶の外から眺めた歌い出し、「船」などの象徴・空想の部分(記憶の外にあるようにも、中にあるようにも見える)、記憶の中=君といた時間の描写と比喩。それらが絶妙なグラデーションのように混じり合いながらも、やわらかく切り替わり、簡潔ながら映画のような構成になっている。全体的にやわらかに「ゆれて」「にじんで」いるのだが、しっかりと構成もある、という。

自分なりに読み込んでいって、なかなかに浅い解釈ながら、それでも改めてすごい歌詞だなと唸ってしまった。

 

ましまろ

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