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Emily Dickinson - Because I could not stop for Death― 解釈

*Because I could not stop for Death―
「“死”へと立ち止まれなかった 私のために― 」

「なぜなら」から始まる。エミリー・ディキンソンにとって既視感のある風景の、その途中からふいに語り始める。ずっと「死」を夢見ていたことを、ふと思い出したように。けれど、何度も夢見た、その時が遂にやってきたのだろう。

「死」のために立ち止まれなかった、というのは受け入れられなかったからなのか、それより他に行きたい場所があったからなのか。けれど自然とその時が来たのだろうか。今までは「死」への純粋な好奇心もありつつ、この世界や自然、そして詩を選んできたのかもしれない。

*He kindly stopped for me―
「“死”は 親切にも待っていてくれた―」

“死”の姿が見えた時、ああ、その時が来たんだな、と。

*The Carriage held but just Ourselves―And Immortality.
「この馬車はもう一杯だった ただ私と“死”
 ―そして“永遠”だけで」

他に何も要らない。何も入る余地はない。終りの時が来たことをどこか噛みしめるように、Ourselves(私と“死”)に向けて高まっていく。そのたどり着く答えがAnd Immortality(永遠)。

*We slowly drove―He knew no haste
「私たちは ゆっくりと運ばれていった―
 “死”が 急ぐことを知らなかったから」

“We slowly drove” 繰り返される「w」「l/r」の響きが、時間を引き延ばすかのよう。“haste(急ぐ)” が、この馬車の中では不自然に響く。

*And I had put away
My labor and my leisure too,
For His Civility―
「私は勤めも暇も、手放していた
 彼の親切に応えるために―」

“And I had put away” こともなげに、“away”で手放したものが、消え去っていく。
“ My labor and my leisure too,”働いたり休んだりすることで、この世界で循環する慣例的な感情は、もう放棄した。
“ For His Civility―”この“死”の「親切」という書き方は、皮肉とも言われている。どこか死神のペテンのような恩着せがましさを理解しつつ、いくらかは自分でも望んでいたことを認める感じか。最後の”ty”で、この世の膜の外へ出るような。小さく、けれど確かに、枷の外れるような響き。

*We passed the School, where Children strove
At Recess―in the Ring―
「学校を通り過ぎると 子供たちが遊んでいた
 校庭で―輪になって―」

生徒だった頃を思い出す。ディキンソンにとっては、神様を素直に信じていた頃か。彼女の子供時代は明るく快活な少女だったらしい。足の裏の校庭の土の感触や、友達がそばにいた空気を思い出す。毎日のようにあったそれらに、ある時を境に離れた。その時から今まで。そして、死にいく今、もう一段それらから遠くなっていく。

*We passed the Fields of Gazing Grain―
We passed the Setting Sun―
「こちらを見つめる 穀物たちの畑を過ぎ―
 沈んでいく あの太陽を過ぎた―」

毎年殆ど同じ表情をして立っている、見慣れたはずの風景。今またその中に美しさを見つける。穀物=糧。それを照らしている夕暮れ。糧だったものを過ぎ、光だったものを過ぎていく。

*Or rather―He passed us―
「というよりも – 太陽が私たちを過ぎたのだ – 」

地球という船の外の大きな光源。太陽は思いのまま、彼の航路を進むように見える。そのことがどこか寂しい。夕暮れの寂しさは、太陽が地球をこの宇宙に置き去りにするからなのかもしれない。この詩の中ではもう「また明日」はない。

*The Dews drew quivering and chill―
「夜露は 震えと冷えを連れてきた―」

家族以外の誰かと、夜露の間を抜けていくことなど、隠遁していたディキンソンには、もしかしたらあまりなかったかもしれない。思いの外寒く寂しく、けれど新鮮な最初で最後の旅路。”Dews drew’(夜露)”は、小さな水面に映る夜が瞬くような響き。

*For only Gossamer, my Gown―
My Tippet―only Tulle―
「私のガウンは 蜘蛛の糸織りだけ―
 私の礼服*は―ただのベールに過ぎなかったから―」

*Tippet:主として聖公会の主教や司祭が、sacrament以外の儀式を司式する時にsurpliceの上からつける黒いスカーフ状の式服。しばしばacademic hoodと共に用いられる。

着の身着のままは、自然がくれたものだけだった、ということか。司祭の服がベール、とは信心が薄い・神様との結び付きが希薄、ということか。今となってはベール1枚でつながっている神様。けれどきっぱりと反抗するでもなく、やっぱり教会や神様のことが頭のどこかにある、というのがディキンソン独特の距離感だなと思う。出来れば信じたいし、ずっと信じていれたら良かったのだけれど、という常に迷い続けることを選んだゆえに、それはいちばん心もとない距離感なのかもしれない。その「遠さ」がはっきりと測れる距離だから。その信心の薄さのため、震えるほど寒く、心細いとも読める。身に着けているものが信じているものであるとしたら、蜘蛛の糸織りを身に着けているというのは、「自然」を信じている、ということなのかもしれない。

*We paused before a House that seemed
 A Swelling of the Ground―
「やがて 私たちが止まったのは
 新しい「家」らしきものの前
 地面がふくらんでいて―」

新しい家つまり墓の前であり、馬の蹄の音が止むところ。ゆっくり進んできて、ようやくたどり着く。ここまでの旅の疲れと、いくらか想像と違う新鮮さとが、入り混じるような。

*The Roof was scarcely visible―
 The Cornice―in the Ground―
「屋根は殆ど見えない―
 蛇腹**も―その土の中へと―」

**Cornice:壁または柱で支えられた水平材を飾る帯。古典建築では柱で支えられる部分(entablature)が3段に分かれており、最上部からそれぞれコーニス、フリーズ(frieze)、アーキトレーブ(architrave)と呼ぶ。

どんな家なのか分からない。が、その土の下にある。生きている時には、見えないし選べない場所。ここに、これからはずっといる。思えば生まれる前も、おそらくそうだった。

*Since then―‘tis Centuries―and yet
Feels shorter than the Day
「あれから―何世紀も経つ―けれど未だに
 あの日よりも 短く感じられるのだ」

*I first surmised the Horses’ Heads
 Were toward Eternity―
「馬の頭が向かうのは永遠、と気付いた
はじまりのあの日よりも、ずっと―」

大いなる時間が過ぎても思い出す、新しい世界のはじまったあの日。墓までゆっくりと進んだ、死からこちら側の1日目。何世紀よりも、壮大な永遠に触れ、その中にいた。永遠とは何か、その時全て理解した。死や死の恐怖よりも大きく、死神のうさんくささも、忘れてしまうほどの。直線の時間軸が私を追ってこれたのは、土の上までだった。馬の蹄が止んだ時、その沈黙は永遠の始まる合図だったのだ。