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音楽・本について、色々。

Emily Dickinson - As imperceptibly as Grief 解釈

As imperceptibly as Grief
The Summer lapsed away-
Too imperceptible at last
To seem like Perfidy-

悲しみのように いつの間にか
夏は 過ぎ去った―
ついに あまりにそっとなされた
不実のように―

悲しみが過ぎ行くように、夏がいつの間にか過ぎ去った。「不実」とは<夏>そのものではなく、<夏が過ぎ去ること>のようだ。ということは、悲しみが過ぎ去ることを、ここでは「不実」と言っている。「ついに」「なされた」なので、その悲しみを忘れてしまうのは、意志によるものなのだろうか。悲しみをもう忘れようと決断することをどこか責めているかのようだ。と同時に、そのことの「そっとなされた」手つきに慈しみのようなものを感じる。「不実」と思いながら、悲しみを忘れることを、静かに選びとったのだろう。

A Quietness distilled
As Twilight long begun,

静けさが 滲み出す
黄昏の 長い始まりのように、

夏から秋に移ることを、日が傾くことに例えている。「静けさ」は冷気のことか。静けさは、やがて長い秋と冬を連れてくる。黄昏の黄色や夕暮れの赤は、紅葉/黄葉と重なる。空の周期の色を、木々がもっとゆっくりとした周期で真似る。その移り変わりにふと気付く。夏が過ぎ去って、次第に抽出されていく静けさによって。

「静けさ」はまた、上の段にあった“imperceptibly / imperceptible”(いつの間にか / そっとなされた)のことにも見える。その人知れず行われた静かな「不実」(決心、といってもいいだろう)がこれまでの熱を逃がしては、ここから景色を変えていく。

Or Nature spending with herself
Sequestered Afternoon-

または自然の中で 一人過ごす
切り離された 午後のように

一人誰もいない自然の中で過ごす時、心に静寂が滲み出す。静寂はノイズのない状態なので、それは濾過されていくようでもある。そう、誰かにとって「不実」でも、深い悲しみを忘れていくのは、痛みから解放されていくということ。“spending”は「費やす」という意味で、そうやって自分のために午後の時間を使う。

The Dusk drew earlier in-
The Morning foreign shone-

日暮れは 以前より早くなり
夜明けは なじみなくも 輝いた―

日暮れが早くなることは、以前よりも静かな内省の時間が増えていくかのようだ。そこから目覚める夜明けは、次第に濃密さを増す内省となじみにくいが、その朝の輝きはいつだって美しかった。

A courteous, yet harrowing Grace,
As GUEST, that would be gone-

丁重な、けれど胸痛めるような優美さで、
去って行く来客のように―

帰って行った来客は、胸を痛めるほど優美だった。夜明けのほんの短い美しい時間に、来客と過ごしたささやかな時間を思い出す。

And thus, without a Wing
Or service of a Keel

そんなふうに、翼も持たず
船の便もなしに

翼もなく船もなく、遠くへ飛び去ってしまえる夏や、過ぎ去りし人。ディキンソンは小さな田舎の町に生まれ、生涯そこから出ることはなかった。颯爽と遠くへ行ける彼らが不思議で、羨ましかったのかもしれない。

Our Summer made her light escape
Into the Beautiful.

私たちの夏は 軽やかに
「美しさ」の中へ 逃げて行った

夏の間に誰かがそばにいたのかもしれない。夏が過ぎ去ったあと、夏はここにいなくても、その跡に美しく自然を変奏して見せるように、あの人はもうここにいなくても、あの人といた時間はこれから美しい思い出になるだろう。夏の去り際に気付いた時、自分もこんなふうに悲しみを乗り越える「不実」を選びとろうと、静かに決意する―そんな詩のように見える。

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おまけ。これを書いていた時にちょうど、プーシキン「百姓令嬢」を読んでいて、ディキンソンと、そしてこの詩のことが思い当たった。以下引用。岩波文庫の表紙にある通り、この神西清訳は素晴らしいと思う。

“ 読者諸君のうち田舎に住まわれたことのない方は、こうした田舎の令嬢というものがどんなに魅力ある存在であるかを、想像することも出来ないだろう!清らかな大気を吸って、わが庭の林檎の樹かげで育てあげられた彼女たちは、世間や人生についての知識を書物から汲みとるのである。孤独、自由、それに読書という三つが、浮ついた都そだちの佳人麗姫の夢にも知らない感情や情熱を、早くから彼女らの胸にはぐくむのだ。そういうお嬢さんたちにとっては、馬の鈴の響きが既に胸を躍らす冒険である。近所の町へ出掛けることは生涯の画期的事件だし、客の来訪は長く消えない、時としては永遠につづく、思い出をのこすのである。もちろん彼女たちに変梃な所があるといって、それを嘲笑うのは皆さんの勝手であるが、しかし皮相な観察者が飛ばす冗談なんぞは、彼女たちの一ばん大切な美点を傷つける力はないのである。それらの美点のうちでも尤たるものは、性格の特異性、すなわち独自性で、ジャン・パウルの説に従えば、それがなくては人間の偉大さは存在しないのだ。都会の女性は、恐らくもっと立派な教育を受けているだろうが、世間のしきたりが間もなく性格を均してしまい、その心情はその髪の結い方と同じく、一様なものになってしまうのである。これは批判とか非難とかいう意味で云うのではないが、しかし或る古代の注釈家が記してるように、『吾人の注記はやはり通用する』である。” 

スペードの女王・ベールキン物語 (岩波文庫)

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もう1つ余談。ピアティゴルスキー自伝にあった、子供の頃おどろおどろしいお婆ちゃんに付けてたあだ名「スペードの女王」ってこのことだったのか、と数年後に知った。ロシアは面白いなあ。 

チェロとわたし (新装版)

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