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夏目漱石『夢十夜』より「第一夜」から、前半部分 解釈

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*夏目漱石『夢十夜』より

わたしが死んだら

作詞 中村安伸
作曲 大野円雅

わたしが死んだら
土に埋めて下さい
大きな真珠貝で 掘って
星の破片を 墓標に置いて

墓の傍で 待っていて
また 逢いに来ますから

日が昇るでしょう
それから 日が沈むでしょう
それから また昇るでしょう
そうして また沈むでしょう

百年 待っていて
きっと 逢いに来ますから

墓の傍で 待っていて
また 逢いに来ますから

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夏目漱石『夢十夜』から「第一夜」の前半までを歌にしたもの。俳人の中村安伸さんが翻案。

この歌は、自身の言葉通り冒頭であっけなく死んでしまう女性の、主人公への言づてによるもの。よく小説は作者の一部が登場人物になっているというが、漱石の中にこのような女性がいたとしても、この部分と漱石自身が相容れるのは並大抵のことではなさそうだ。彼女は瑞々しく生き生きとしていながら、目の前であっさりと死んでしまい、その上で百年も私を待っていて、と言うのだから。

女性は、はっきりと「また逢いに来ます」といい、主人公も淡々とそれを受け止め、彼女の遺言の通り、彼自身が墓を丹念につくり、待つ。気の遠くなるような、かつ不可解な約束は、それ故に真理なのだろうと思わせる。底の知れないものと「相容れる」ということは、こちらが条件を飲んでも叶うかどうか分からない約束を、長く長く待つようなものなのだろう。

普通、人は大人になってから、それから百年も生きられない。この「再会」は、生まれ変わってから果たす、何か大切な約束のようにも思える。今生では諦めた夢があって、来世こそはそのために生きようという、そんな大切な約束について書かれた小説なのではないかと。

短い文章ながら、死の床に伏した、しかもこの世のものとは思えない女性が、本当にここに「生きて」いるかのような息づかいが感じられる。作者自身の人格の一部か、もしくは何か大切な夢を擬人化したものだったとしても、こんなふうに生きている人として、ありあり簡潔に描き出せるのは、一体どうしてなのだろう。物語本編よりもそのことの方が、ある意味不思議に感じたりもする。例えば共感覚の持ち主が、それぞれの五感の間に何か抜け道を持っているとしたら、漱石の場合は、精神自体と五感の間が、筒抜けに繋がっていたのではないか、と思えてくる。

わたしが死んだら
土に埋めて下さい
大きな真珠貝で 掘って
星の破片を 墓標に置いて

真珠貝は大きな滑らかな縁ふちの鋭するどい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂もした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。”

真珠貝でひとり墓を掘る場面は、貝の裏側に月の光が反射していて美しい。海底にいた貝で穴を掘るのは、どこか一人分の海を作るようだ。海は無意識/夢や羊水を思わせ、これから永い眠りに就く人をそこへ寝かしつける。今生では脇に置いてきた夢、これからはその夢の中にいられるよう、そこに守られてあるように。もしくは来世が来るまで一旦夢をそこへ葬った、ともとれる。

「星の破片」、海の底にあったものの次は、宇宙にあったもの。宇宙から落ちてきた星は、この世界(社会)の外からの知らせのようだ。対して、海の底の貝は、意識下に隠されていたもの。

“星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間に、角が取れて滑かになったんだろうと思った。”

とあり、まるで川から拾ってきた石のようである。大らかにたゆたう共時性が簡潔に描かれていて、冴えた文体の裏で、自然がゆらゆらと姿を変え、この「不可解」な闇の中で一筋一筋、光を発しているかのようだ。

墓標に墓石でなく、星の一欠けの石を置くというのは、「人は死んだら星になる」というあれと、何か関係があるのだろうか。土でできた一人分の海の上では、真珠貝の裏で月が反射し、星の破片が置かれ、どこか海面に月と星が並んで映るさまを模したミニチュアのようだ。

墓の傍で 待っていて
きっと 逢いに来ますから

墓は集合墓地ではなく、主人公が女性のために作ってくれた、ただ一つの墓。その特別な墓だから、またここで会える、と女はいう。

日が昇るでしょう
それから 日が沈むでしょう
それから また昇るでしょう
そうして また沈むでしょう

私のいなくなった世界で、日が昇り、沈む。幾度も幾度も。主人公はある大切な夢という半身をなくしたあとも生き続け、世界は変わらず続いていく。小説では女性の「あなた、待っていられますか」という問いかけに、主人公が黙って肯く。まるで、もうそれしか叶う方法はないかのように。

百年 待っていて
きっと 逢いに来ますから

そうやって百年待っていて、きっとまた逢いに来ます。そういって女性は死んでしまう。来世に託した約束を告げて。

この歌が歌っているのは、その場面まで。つづきは別の歌になり、そちらもいつか考えてみたいと思う。